童話・詩・散文

※童話・詩の一部は、拙著「此岸から彼岸への扉――八ヶ岳高原便り」(文芸社)に、組み合わせを変えたりしながら掲載されています。

 

ここでは、夏秋レイがこれまでに綴ったファンタジックな童話・詩・リズミカルな散文詩などを掲載します♪

クラブハウスなど音声主体のSNSにて朗読・読み聞かせのイベント、ルーム立ち上げが大変好評のようです。

夏秋レイのこれまで綴った文章も、絵本用~童話、また少し大人のためのセンテンスも、うれしいことに、 そうした音声SNSにて、読みきかえせや朗読に使用されることがあります。

またそのように使用していただけることを望んでおります!

 

2021年に出版した文章付きのアート写真集「此岸から彼岸までの扉――八ヶ岳高原便り」にも、 写真にあわせたセンテンスを併記し、童話や詩の断片を掲載しておりますので、 作風などを覗きみて頂くのに、参考になるかと存じます♡

どうぞよろしくお願い致します♪

尚、このページに掲載しております文章に関しまして、著作権を放棄しておりませんので ご使用になられる際には、その旨よろしくお願い申し上げます♪

 

転載元 LINK

 

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1)読み聞かせ・朗読用 短編童話(or 絵本用)

 

【森のおとしもの】

きつねのぼうやが、たったひとりで 森の夜みちを歩いていました。

うつむいたまま、しきりにひとりごちながら。

「ええと、あれはこの辺だっけ? きのう ぼくが見つけたもの。 きのう見つけたものはどこ?」 

フクロウが一羽、かばの木のウロにとまっていました。

おおきなお目目を半分閉じて、きつねのようすを見ていました。

きつねのぼうやは、フクロウにたずねました。

「もしもし、おじさん。あれはどこ?」

「あれ、とはなんじゃな?」

フクロウがききかえしました。

「ええとね、ぼくがきのう見つけたもの」

「ホッホー。一体何を見つけたんじゃね?」

フクロウは目をまるくしてたずねました。

「きらきら光る落としもの」

「はてさて、それは金貨かね?」

フクロウはいいました。

「金貨は、きらきら光るもの?」

きつねのぼうやがたずねました。

「あぁもちろんさ。そいつは丸くて、そしてちょっと重いんだ」

「そうか。それじゃ、あいつは金貨だ。きっと金貨にちがいないや」

きつねのぼうやは、はしゃぎました。

「だが、金貨なんてこの辺りに落ちてはいなかったがね…」

フクロウは残念そうにそういって、ホー とひとつためいきをつくと、ふたたび目を閉じてしまいました。

「わかったよ、おじさん。ありがとう」

きつねのぼうやはお礼をいって、またとぼとぼ歩いていきました。

 

 

少し行くと、クルミの木をするすると降りるリスに合いました。

「もしもしおばさん。あれを知らない? ぼくがきのう、見つけたもの」

「はてさて。いったい何でしょう?」

「ええっと、それが分からない。だけどとにかくきらきら光る、だれかのだいじなおとしもの」

「きらきら光るだって? そうかい。それじゃぁそれは、きっと宝石」

リスは目をかがやかせました。

「クルミの味するルビー! 松の実の味する真珠!」

リスは胸のまえで手を組み、夜空を見あげていいました。

「わあすごい。それじゃあぼくのさがしものは、きっとそいつらなのかもね!」

きつねのぼうやがさけびました。

「それでおばさん もいちどきくけど、そいつらをさがすためには、ぼくはどこまで行ったらいいの?」

きつねのぼうやがたずねると、りすは首をかしげました。

「そうさねぇ じつをいうとあたしも、それをじっさい見たわけじゃあないんだよ」

そういってあたまをかきながら、りすはしばらくこまったように、森のあちこちを見わたしました。

それからようやくささやくように、きつねのぼうやに言いきかせました。

「わかった、ぼうや。これははっきりしてること。宝石なんて、このあたりにはひとつも落ちていなかったわ!」 

それをきくと、きつねのぼうやは、がっかりしてつぶやきました。

「そう…わかったよ、ありがとう、おばさん」

きつねのぼうやはお礼をいって、またとぼとぼと歩いていきました。

森の奥深い山あいにはいると、ヒゲを生やした一頭のカモシカが、しげみを行き来していました。

もぞもぞ草をはんでいます。

「もしもしおじいさん。あなたは知らない? ぼくがきのう見つけたおとしもの」

けれども、カモシカのおじいさんは、耳が遠くてきこえません。

「おじいさん! ねえねえ知らない? ぼくの見つけたおとしもの!」

きつねはちょっとどなりました。

「おや! こんばんは、ちいさいぼうや。どうしたんだね、こんな夜ふけに?」

カモシカは、ほそながい顔をあげました。

「ぼくがみつけた、だれかの大事な落としもの…」

「え? ほう、おとしもの。おとしものがどうしたって?」

「おじいさん知らない? 見なかった?」

「いやはや。さてね? いったいそれは、どんなものだい?」

「きらきら光る、きれいなの」

「え? キラキラ光る、とな? うぅん…。キラキラと光るといえば、それはもう、クリスマスの金と銀のかざりもののあかりだよ。

あちこちで点っては消え、点っては消え…。それがサンタクロースをそりに乗せて走る、わたしたちのしんせきを、じつにここちよくさそうんだ。」 

―― しんせきというのは、トナカイのことでした。

「しかしだね…」 カモシカのおじいさんは、考え込むと、しゃがれた声でいいました。

「いまはクリスマスの時期じゃぁない、あと半年もあるからな。それにそんなキラキラしたもの、この森の中なんぞで見おぼえないがね…」

「そうですか。どうもありがとう」 きつねはしょんぼりして、またとぼとぼ歩いていきました。

 

いつしか、川べりにさしかかりました。

ふとったカワウソのおばさんが、きつねのぼうやの目の前を、よちよち走っていきました。

「もしもし、おばさん」 きつねのぼうやが呼びとめました。

「なんだね? あたしゃいそがしいのよ、用事があるなら、はやくお言い」

「きらきら光る、おとしもの。だれかのおとしもの、見なかった?」

「きらきら光る、おとしものだって? さてね。だれのものだかわからない、おとしもののことなんか、こういそがしくっちゃ、おぼえちゃいないけど」

カワウソのおばさんはいいながら、あごに指をあてました。

「だけども、それはいったいどういう風に、光るものだったのかい?」

きつねのぼうやはまぶしそうに、目をほそめながらいいました。

「それはたいそううつくしく、きらきら、きらきら」

「まあ…。」 カワウソのおばさんは、ふと空をみあげました。

「こう見えてもね。わたしゃけっこう、おしゃれなんだよ」

おばさんは目を見はると、つんとはった胸を指さして、いいました。

「ここにつける金ボタン、まえからほしいと思っていたのさ。もしも、それが金ボタンなら、どんなにかあたしに似合うだろう。

…だけどそんな高価なもの、この森になんておちてやしないものね。そう、おちてなんかいやしないのさ」

カワウソのおばさんは、そういって首をふり、ビロードのようなしっぽをひるがえすと、また湖の方へと、かけ出していきました。

「わかったよ。ありがとう、ひきとめてごめんなさい」

きつねのぼうやはあきらめて、とうとういま来た道を、引き返すことにしました。

そして、すっかりしょげたしっぽをふるわせ、歩き出したその時です。

 

サラサラサラ……ふと、森の木々の葉がざわめきだちました。

おや…。あれはなんでしょう。何か黄金色の光がチラチラ、ぼうやの行く手にゆれているではありませんか。

 

「おかしいな。さっきとおったばかりの道なのに。こんなチラチラするもの、あったっけ?」

きつねのぼうやは首をかしげ、おもわず目をみはりました。

そう、道のまん中をくりぬいた、小さい水たまりのなかを、そよそよそよぐ風にふるえ、何かがうごめいています。

…… 見ると、ちいさな水たまりに、あわい金色の光の束が、木々の葉をすかして、そぉっと射し込んでいるのでした。

きつねのぼうやは、そのふしぎな光の束を、空へ空へと、たどっていきました…。

と、それは夜のやみにこうこうと光る、お月さまへととどきました。

キラキラ光る、おとしもの――それは、水たまりに映る、月あかりの精たちだったのです。

「ねえきみたち、この水たまりで何をしてるの?」

きつねのぼうやがたずねました。

{水浴びしているのよ}

月あかりの精たちは、いっせいにこたえました。

そのよくひびく声は、キラキラと、水たまりいちめんにこだまして、黄金の光をぶつけあいながら、やがて幾重もの輪をひろげていきました。

それは、お月さまが、ご自分の使いを、光の束のすべり台をつたわせ、こうして森の水浴び場に降ろして、遊ばせていたのでした。

「ぼくはてっきり、だれか森に住んでるひとの、おとしものだと思っていたよ」

きつねのぼうやは笑っていいました。そしてそっとたずねました。

「ねぇもし、ぼくがきみたちをひろったら、きみたちはお月さまへ、かえれなくなってしまうの?」

{拾ってみたいなら拾ってごらん?}

月あかりの精たちは、わらいはじけていいました。

{わたしたちは逃げるのが上手なの。いくらすくっても、つかまらないわ}

また別の声がいいました。

{私たちのかがやくからだは、ここにいても、お月さまのもとへ、いつでもあっという間にかえれるのよ}

「ほんと?」

きつねはおどろきながら、ちょっとくやしがりました。

「じゃ、つかまえてみようっと!」 きつねのぼうやは、手をのばしました。

―― チャポン・・・

……水たまりに手をいれると 

―― 月あかりの精たちは、あっという間に飛びちって、ちりぢりに分かれると、楽しそうに笑いました。

そしてわぁぁん… その声と光は、しばらくの間ずっと、こだましていました。森ぢゅうに。耳の中に。

―― そうしていつしか、またもとどおり、水にうつるお月さまの姿に、ゆらゆらかえっているのでした。

…… 水たまりをふるわせていた風は、いまはもうすっかり止んでいました。辺りも、しんと静まりかえっています……。

(ほんとだ……さよなら、妖精さんたち)―― 

きつねのぼうやはそう、ひとりごちました。

水たまりの奥の奥、お月さまの姿をのぞきこみながら。

 

ホーホー ―― フクロウの声が響いています…。

「ぼく、もう かえらなくちゃ!」

きつねのぼうやは、あわてて身をおこすと、ほっとひとつためいきをついて、今来た夜道を、ひきかえしていきました。

水たまりのお月さまは、もうキラキラとおしゃべりしなくなったけれど、夜空にたかく浮かんでいる、もうひとつのお月さまは、

いつまでもいつまでも、きつねのぼうやを追っかけて、転ばないよう夜道を照らし、明かりをともしてくれていました。・・・

 

 

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2)読み聞かせ・朗読用 短編童話(長めの絵本用)

 

【お月さまとランプ】

 

くろい ちいさな虫が ひとり さまよっていました

そよそよ 風の吹く晩に 月夜の晩に ふらふらと あたりをさまよい おどっていました ……

    * * *

やみのなかに、ほんのりと明るい、ともしびがみえました。

それは、村と町とのさかいに立つ、外灯でした。

ろうそくの炎が、灰色の鉄格子(てつごうし)のなかで、ちらちらとゆらめいています。

きれいだなぁ。あかるいなぁ。あんなランプ、ぼくもほしいなぁ。 小さな虫はいいました。

けれども、そんなことをいっても、どうにもしかたがありません。

 

 

虫はまた、夜空をふらふら、どこかへ飛んでいきました。

町のはずれに来ました。

ちいさなおうちでしたが、お部屋の中には、あかりがともっていました。

そのあかりの上には、教会の窓にも似た、色とりどりのガラスの傘がかぶさっていて、それがまるで時のとまりかけたメリーゴーランドのように、部屋ぢゅうをほんのりと、赤・青・黄・緑、さまざまな光を放っては、ゆわんゆわん照らしていました。

部屋のなかには、子供たちの影が、はしゃぎ声といっしょに、ちらついていました。

きれいだなぁ。ゆめのような世界だなぁ。ぼくもあの傘の中へはいってみたいな。 小さな虫はいいました。

けれども、そんなことをいっても、どうにもしかたがありません。

虫はまた、ぴったりとつけていた黒いからだを、窓ガラスからはがしますと、そっと よそへ飛んでいきました。

 

大通りにさしかかりました。

クリスマスでもないのに、無数につらなるまぼろしの壺(つぼ)のような、青い光と赤い光が、交互に街を照らし出しながら、おしゃべりしていました。

あの女の人には、あかちゃんがうまれたんですって。

あの犬は、荷馬車にひかれたんですって。

あの男の人は、さいふを落として、さがしまわっているようだね。

あのステッキをついたおじいさんは、今夜もどうやらお酒をのみすぎたらしい…… などと。

 

そのむらがる光とおしゃべりは、いつまでもどこまでも、つづいていくようにみえました。

こんな夜中だというのに、ひとびとはまだ、通りを行き来しています。

そうして時々、どっとどよめくような笑いや、けんかをする声、乾杯(かんぱい)のグラスの音、女のひとのひめい、馬のひづめの音などがひっきりなしに聞こえてきます。

こんな夜でも、きれいなあやしい光がむらがっている。きっとねむることがないのだろうな。虫は思いました。

それにしてもきれいだなぁ。ぼくもあの中のひとつになりたいよ。 小さな虫はいいました。

けれども、そんなことをいっても、どうにもしかたがありません。

虫はまた、どこかへ飛んでいきました。 こんどはもうすこし、空気のきれいなところがいいかしら…などとひとりごちながら。

 

翌日も、黒い虫はさまよいました。 朝も、昼の間も町と村の間をさまよいつづけました。

夕方になると、海辺に近づきました。 ザザザー…さざ波が、ざわめきわたっています。

背の高い白い灯台が、陽のしずみかけた岸辺から、のっぽのからだをにょっきりともたげていました。

灯台のあたまは、ゆっくりゆっくり、ななめの光をまわしながら、あれた海でもまよわぬよう、ちいさな舟がわたっていくのを、照らし出してやっていました。

やくにたつ、すばらしい光。ぼくもやくにたつ光を、だれかにともしてあげたいなぁ。 それになんだか、きれいだもの。ぼくもあんなのっぽの頭のてっぺんから、海に射しこむりっぱな光になりたいよ。

小さな虫はいいました。

けれども、そんなことをいっても、どうにもしかたがありません。

夜の闇がせまっていました。 飛び交うカモメたちに食べられないよう、ちいさな虫はいそいで、海辺をはなれていきました。

とうとう虫は、山の方へ入っていきました。

森をつたって、いつものように川べりにちかづきました。 いつもここで、しばらくゆっくりしていくのです。

そういえば、ここで生まれたような気もします。 チラチラときらめきゆれるふしぎな光が、いちばんすばしこく、おいかけっこをしている所にやってきました。

それはじつにせわしく、しきりにはなれたり重なったりしながら、あそんでいます。

なんてやつらだ。すこしもじっとしていない…。 でもなんてきれいなんだろう。

小さな虫はこれに出会うたび、いつもそう思うのでした。 辺り一面に、くすぐったい水の音がしています。

ふと見上げると、きれいなお月さまが、青白い光をこうこうと、夜空にはなっていました。

それはもうあと数日で満月になろうとする、すこし欠けた月でした。

「私のひかりが、ちいさな川面に映って、おじゃましています」

ふいに、お月さまがよびとめました。 虫はすこしおどろいてから、 「お月さま、こんばんは!」 ていねいにあいさつしました。

「ぼくもあなたのように、こんなうつくしい光をからだからはなって、まわりを照らしてみたいです」

小さな虫はいいました。

ふと、お月さまがけげんそうな顔をしました。 が、小さな虫はそれに気づきませんでした。

「さあ。こう言っていてもしかたがないし、なんだかねむくなってきたから、そろそろお宿へかえろう」

小さな虫はつぶやきました。

「どこかにいいお宿はないかな」

くろい小さな虫は、しばらくの間考えながら、あちこち気にして飛びまわりました。

黒い虫は、ランプの形をした花たちが、とくにお気に入りでした。

花たちはたいてい、夕から夜になるとはなびらを閉ざしてしまいます。そのほんのすこしまえに、からだを入れて休ませてもらうのが、なにか心地よいのでした。

それにしても今夜は、すこし時が遅すぎました。どこかにまだ空いている宿があるとよいのだけど…ひとりごちながら、虫は辺りをさまよい回りました。

 

すこし行くと、おだまきの花がまだ花びらのカーテンを開けているのが見えました。

「やぁこんばんは。ぼくは幸運だ。とめてくれる?」

「空いていますわ。ようこそ」

おだまきの花は、プロペラみたいな花びらの、まんなかあたりの五枚が、ちょうど黄色い壺のようにのびていて、奥にもぐってぐっすり寝るには、いい場所のようです。

「ふぅ。やっとひと息つけるよ」

くろい虫は、やんわりと黄色い花びらのなかに、もぐり込みながら言いました。

「よかったですわ。いつもならとっくに花びらを閉じている頃ですけれど、今日は待って、じっと咲いていたのです。きっと何かがあるような気がして…」

「そうですか。それはありがたいです。もっと早くに山へ来ようと思ったのだけど、何だか色々寄り道してしまって」

黒い虫は照れながら、ちょっとだけ言いわけしました。

「ねえ?——あのう、虫さん。知っている?」

しばらくすると、おだまきの花が、はなしかけました。

「何をだい?」 虫がききました。

「森の妖精がこんなしらせを送ってきたの。あなたはもう、ご存じかと思ったけれど」

「知らない。どんなしらせ?」

「こういうの。 『満月の夜にまけない、うつくしいランプをさがしています。あなたのランプをみせてくださいませんか? この森ぢゅうでいちばんきれいなランプがみつかりますよう、待っています。お月さまより。』 って」

おだまきの花が、しらせをよみ聞かせました。

「ふぅん。」くろい虫は、首をかしげました。

「お月さまは、その光があんなにうつくしいのに、それにまけない、森の中のきれいなランプをさがしているのかい?」

そう言うと、虫はなんだか不思議がりました。

「そういわれれば、たしかにそうね。でもあなたが私のおうちに泊まると、まるでランプがともったようにとてもきれいだわ」

おだまきがいいました。

「あんまりすてきでもったいないので、まるでランプの花のような心地で、こうして咲いているのよ。」

「いったいきみはなにを言っているの?」

小さな虫はとてもおどろいて、ききかえしました。

「まぁ。へんかしら。あなたはそう思わないの?」

おだまきがたずねました。

「ぼくはいままで、きれいなきれいな光をさがして、うらやましがって飛んでいたくらいなんだよ。街へ行ったり、海へ行ったり…。そしてやっと帰ってきたんだ。もうねむいよ。寝かしておくれ」

くろい小さな虫は、だだっこみたいにそう言うと、すやすや眠ってしまいました。

おだまきは、しかたなさそうに、黒い小さな虫を花びらにつつんで、一晩じっとしてやりました...。

さて次の日の夜でした。 おだまきの花に、とめてくれたお礼を告げると、 小さな黒い虫はまた、いろいろな所へ出かけ、いろんな灯や光を見てはあこがれて、 やがてまたしかたなく、森ふかい山へともどって来ました。

しばらく輪をえがいて飛びながら、つぶやきました。

「あぁつかれた。今夜はどんな宿にとまろうかな」

「空いていますよ」

だれかの声がしました。 みると、それはツリガネソウでした。

「やぁ。ここはどれもお部屋がちいさいけれど、いったい何階だてなんだい? じつにかわいいすみれ色の部屋をいくつも、かしてくれるんだね」

小さな虫がいいますと、ツリガネソウは、どれでも気に入ったのをお選びなさい、とすべての部屋をチリチリゆらして、さそいました。

「ふむふむ。じゃぁいちばん、てっぺんのに」

小さな虫がごそごそもぐり込むと、ツリガネソウはうれしがりました。

「よかったこと!ほんとうならこんな夜更けはとっくに花びらを閉じてしまうけれど、今日は待って、じっと咲いていたのですよ。きっと何かがあるような気がして…」

「そうですか。それはありがたかった。もっと早くに山へ戻ろうと思ったのだけど、今日も何だか色々寄り道してしまって」

黒い虫は照れながら、ちょっとだけまた言いわけをしました。

ツリガネソウは、ほほえむと、さっそく黒い虫にたずねました。

「ねぇ。あなたはもう知っている? 森の妖精がくばってまわる、おしらせのこと」

「どんなのだい?」 虫がききました。

「こういうのよ。 『満月の夜にまけない、うつくしいランプをさがしています。あなたのランプをみせてくださいませんか? この森ぢゅうでいちばんきれいなランプがみつかりますよう、待っています。お月さまより。』 って」

おだまきの花がそうしたように、ツリガネソウもまた、同じしらせを、くろい虫によみ聞かせました。

「ふぅん...。お月さまは、ごじぶんの光があんなにうつくしいのに、なんだってそれにまけない、森の中のきれいなランプなぞを、さがしたがるのかな?」

小さな虫は、今夜も不思議がりました。

「そうねぇ…。だけどあなたが、私のちいさなお部屋に泊まると、とてもきれいよ。お月さまにだってまけないくらいかもしれないわ!」

「きみはなにを言っているの?」

小さな虫はひどくおどろいて、さけびました。

「あら。ご自分でそう思わないの?」

こんどはツリガネソウが、おどろいてききかえしました。

「だってぼくはいままで、きれいな光をさがして、うらやましがって飛んでいたんだよ。街へ行ったり、海へ行ったり…。そして今日もやっと、帰ってきたんだ。ランプはぼくの頭のなかだけでたくさんさ。すっかり飛びつかれてね、もうねむいよ。寝かしておくれ」

くろい小さな虫は、だだっこみたいにそう言うと、今夜もすやすや眠ってしまいました。

 

 

その次の日の夜でした。 小さな虫はまた、いろいろな所へ出かけ、いろんな灯や光を見てはあこがれて、しかたなく森へもどって来ました。

「ふう。今夜はどこの宿に泊まろうか」

「空いていますよ。よろしかったら、およりなさい」 だれかが言いました。

それは、はたざおぎきょうの花でした。

「おお、これはありがたい!」 小さな虫は思いました。

まんなかのしべにかくれると、ちょっとふわふわして、じつにいい夢み心地だろうと、思えたのです。

「ありがとう。ではえんりょなく」

「どうぞどうぞ。まあよかったこと。ほんとうならこんな夜更けはとっくに花びらを閉じているけれど、なんとはなしに今日はこうして待って、じっと咲いていたのですよ。きっと何かがあるような気がして…」

「そうですか。ありがたかった。じつはもっと早くに山へ帰ろうと思ったのだけど、やっぱり何だか色々寄り道してしまって」

黒い虫は照れながら、またちょっとだけあの言いわけをしました。 小さな虫がさっそくもぐり込むと、はたざおぎきょうがそっと、ささやきました。

「ねぇ。知っていらして? 森の妖精がこんなしらせを送ってきましたの。 『満月の夜にまけない、うつくしいランプをさがしています。あなたのランプをみせてくださいませんか? この森ぢゅうでいちばんきれいなランプがみつかりますよう、待っています。お月さまより。』 って」

はたざおぎきょうは、よみあげました。

「またその話かい。」 小さな虫はあきれました。

「なんだってお月さまは、その光があんなにうつくしいのに、それにまけない、森の中のきれいなランプを、さがしたりなどするんだろう?」

「まぁ…。けれど、あなたが私のおうちに泊まると、とてもきれいに思いますよ。外からながめたわけではないけれど、きっとそうにちがいありません」 

はたざおぎきょうがおおきな声で言いました。

「やれやれ。どこがきれいなんだ? ぼくはいままで、きれいなランプやきれいな光をさがして、うらやましがって飛んでいたくらいなんだよ。街へ行ったり、海へ行ったり…。そしてやっと帰ってきたんだ。もうランプはたくさん。ねむいんです。寝かしてください」

くろい小さな虫は、だだっこみたいにそう言うと、今夜もすやすや眠ってしまいました。

 

そのまた次の日の夜でした。

今夜も、小さな虫はまた、いろいろな所へ出かけ、いろんな灯や光を見てはあこがれて、しかたなく森へもどって来ました。

「ああつかれた。もしもし。空いていますか」

「空いていますよ、どうぞいらっしゃいな」

今夜のお宿は、ホタルブクロでした。 すこし大きめの、いくらか先のすぼんだふくろの中は、ホテルのようにゆったりとしています。なんてぜいたくな居心地でしょう。

「では、おじゃまします」

小さな虫は、すこしあらたまると、おずおず入っていきました。 でも、中はひろくて、じつにのびのびできます。

くろい小さな虫は、思い切りからだをのばして、あくびをし、休みました。

「よかったわ。こんな夜更けまで、花びらを閉じずに何かを待っていて。きっといいことがあるような気がしていたのですもの」

「そうですか。それはありがたいです。もっと早くに山へのぼろうと思ったのだけど、何だか色々寄り道してしまいました」

黒い虫は照れながら、ちょっとだけまた同じ言いわけをしました。

しばらくすると、ホタルブクロがささやきかけました。

「知っていますか。森の妖精がこんなしらせを送ってきました。

『満月の夜にまけない、うつくしいランプをさがしています。あなたのランプをみせてくださいませんか? この森ぢゅうでいちばんきれいなランプがみつかりますよう、待っています。お月さまより。』」

「その話は、いろいろなところでききました」

小さな虫が、ねむい目をこすりこすり、いいました。 その口調は、すこしいらいらしていました。

「ぼくにはお月さまが、ご自分の光があんなにうつくしいというのに、それにまけない、森の中のきれいなランプをさがしたりする、その気持ちがわかりません」

「まあ! そうですの?… でもあなたは、私のおうちに泊まると、とてもきれいなのですよ」

「きれいって、どういうことでしょう?」 くろい虫は、首をふりました。

「ぼくはいままで、きれいなランプやきれいな光をさがして、うらやましがって飛んでいたくらいなのです。街へ行ったり、海へ行ったり…。そしてやっと帰ってきたのです。うらやましがるのはやめて、もう寝たいです。寝かしてくださいな」

くろい小さな虫が、目を閉じながら、すこし泣き声になってそういうと、ホタルブクロがいいました。

「あなたはお気づきでないのですか? あなたのからだから、ほんのりと、それはうつくしいあかりがともっているのを」

虫はとつぜん、目を見はりました。

「ぼくのからだが光っているって?」 くろい小さな虫は、だれにともなく、ききました。

「おしりが、うつくしいみどりいろに、光っています。あなたはホタルなのですから、それがあたりまえなのですよ。」

ホタルブクロがこたえてやりました。

「やあ、ちっとも知らなかった!」

ホタルは、思わず自分のからだをふり返りました。 おしりですから、よく見えませんでしたけれど、なるほど言われてみれば、なにやらやわらかなあかりが、ともっているようにみえました。

今まで、くろい小さな虫は、自分よりつよい光のもとへばかり出かけていて、自分のからだの後ろの方で放たれる かすかな光に、すこしも気づきませんでした。

でも、森のお花たちはほめてくれたのです。

ホタルは、部屋からそっと出てくると、ふと飛び立って、高いたかい空を見上げ、お月さまをよびました。

「お月さま。こんばんは!」

今夜は満月でした。

「まあ。いつかのホタルさん」

すこしすると、すっかりまんまるになったうつくしいお月さまが、夜空のうえからこたえました。

「森のしらせをききました。ちょっと、見ていてください」

ホタルはさけびました。 そうして、もういちどいそいでホタルブクロの中にもぐり込むと、それはそれは美しい、薄みどり色のほのかなあかりを、おしりから放ってみせました。

やすらぐようなそのあかりは、ほたるぶくろの赤むらさきの花びらを透かして、夜の闇に浮かびあがり、なんともいえずやんわりとした光の輪を、あたりに照らし出しました……。

「まあ。なんてかわいらしいこと!」

お月さまは、高いたかい夜空の上から、ためいきまじりに言いました。

「小さいけれど、よくみえますわ。あれはまるで、天使さまのランプ。このわたくしの光にもちっともまけない、うつくしくてやさしい、天使さまの光だわ?」

お月さまは、ほほえんでいます。

この光景をまえに、オダマキや、ツリガネソウ、ききょうの花たちも、みんなちいさくゆれながら、にこにこわらっていました。

お月さまの声が、とおい夜空に響きわたりながら、ホタルのもとへと降りてきました。

それは、こう言っていました。

「きっと、夜になると、この森のあちこちには、お月さまの光がむかしから宿っていらっしゃるのよ。だから、あなたを泊めてくれる、この森のお花たちはみな、あなたのランプで、お月さまのランプでもあるのね…」

ほんのりすけた、ホタルブクロの花びらの中で、ホタルはちょっとはずかしそうに、こたえました。

「みんなは大事な、ぼくのお宿だけれど、ぼくのあかりが、きれいなお花たちを照らしていて、お月さまにもほめられるような、ランプになっているなんて。こんなにうれしいことはありません。

お花たち、ぼくを泊めてくださっていつもありがとう。これからもよろしくおねがいします」

ホタルは、夜空にひかるお月さまにむかって、ちいさなおしりのあかりをつけたりけしたりしながら、そうさけびました。

 

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4)読み聞かせ・朗読用 短編童話

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【クモの仕立て屋】

 

雨あがりには この網も いまにも こぼれ落ちそうな ビーズの玉が あちこちに きらめきゆれて おしゃべりします

風の吹く日は この網も 澄みわたる 天の吐息(といき)に なぶられて たわむふねの帆 さながらに あおい眠りに つくのです

月の夜には この網も 銀糸ののれん たゆたわせ わたすげの穂を からませて 空へと昇ってゆくのです

うつくしい レース編み  わたしが 仕立ててあげましょう

さあさあ、クモの仕立て屋でござい。 なんでも注文 たまわります

 

           * * *

 

ある雨あがり。森のあちこちから、小鳥たちのきもちのよい声が、朝もやの中にひびいていました。

ズィンズィン、ズィン、小さなハープをつまびく音。シィー、キィー、とおくでぶらんこのきしむ音。

いろんなさえずりがこだましては、ざわざわとこずえを通りすぎる風なかに消えていきました。

と思うと、けぶたい木もれ日が射(さ)すような、ほんのかすかなさえずりが、いつしかまた、どこからともなく聞こえてくるのでした。

そんなしっとりとしずかな、森の朝のことでした。

一羽のヒガラが、ツピンツピン…、いまにも消え入りそうな歌声でさえずりながら、木々のあいだを飛んでいました。

シデやニレの木の、それはそれはうっそうとしげるなかを。

と、ちょうどそこだけ、まあるくくりぬかれた劇場(げきじょう)のように、ぽかんと空いた草っ原に出くわしました。

草っ原のまわりを、もも色をしたシモツケソウのシャンデリアが、ぐるり とりかこんでいました。

「わぁい。おひさまのスポットが当たってる。あかるくていい気持ち!」

ヒガラはそう言うと、ほんのちょっと、羽根を休めたくなりました。

そこで、まあるい劇場のまん中の、まあるい舞台(ぶたい)のすそに、まい降りることにしました。

と、ふと目の前を、きらきら、きらり。何かがゆらめいて、ヒガラにわらいかけました。

ヒガラはおもわず、空中でブレーキをかけました。

おお、あぶない。…そうつぶやくと、ヒガラは停止飛行(ていしひこう)しながら、あたりを見わたしました。

と、なにやらたくさんのビーズ玉が、小人らのおどるダンスのようにうちふるえては、あちこちでかがやいています。

よくみると、透きとおったしまもようの傘(かさ)にもみえる、じつにおおきなレース編みが、行く手をはばんでいるのでした。

ふわふわしたそのレース編みは、たて糸とよこ糸のつなぎ目に、雨粒(あまつぶ)のビーズをおいて、ときおりたのしげに、キラキラと光らせています。

「やあ、びっくりした! もうすこしで、ひっかかるところだった」

あわてて羽根をたたみながら、もういちどじっくり、ヒガラがあたりを見わたしますと、まあるい舞台の幕(まく)さながらに、やんわりと透(す)けたその編みものは、エビヅルのつるべづたいに、そっとかかっておりました。

編みもののすそは、エビヅルの穂の鉤穴(かぎあな)に、ひとつひとつ、きちょうめんに通してありました。

レース編みのそこここに光る、ビーズの玉はどれも、ちいさな虹(にじ)の子を、やどしておりました。

虹の子たちは、ささやくようなそよ風に吹かれるたび、すばしこく色を変えながら、あちこちでうちふるえています。

「とってもきれい!」 ヒガラがそうさえずりますと、すぐさまたいそう気をよくした声が、どこからか聞こえてきました。

「クモの仕立て屋でござい。なんでも注文たまわります」

「こんにちは。この幕(まく)は仕立て屋さんの、のれんだったんですね。あなたはレース編みを、編むのですか?」

ヒガラこうがたずねますと、

「ハンモックでも、手さげ網(あみ)でも、なんでもござれ!」 調子のよい声がかえってきました。

「それじゃぼく、ビーズの玉をところどころにちりばめた、透きとおった冠(かんむり)がほしいな」

「冠ですって! それはめずらしいご注文ですこと」

おどろいた声がしたと思うと、エビヅルのれんの下の、うっそうとからまるツヅラフジのかきねの陰へと、ツウと一本のか細い糸が降りているのが見えました。

その糸先から、仕立て屋さんが、ようやく姿をあらわしました。つむざおにしていたツヅラフジの葉棘(とげ)と葉棘の間に、ひょっこりと、ちいさな顔をのぞかせたのです。

「やあ」 ヒガラがわらっていいました。

「そうなんです。ずっとほしいと思ってました! 光の輪っかに、かぶせる冠――。

森の出口の、あおいみずうみのほとりで、お空の光にかざしてみたいの。ぼくのかなでる、ちいさなちいさな銀の音をそえてね」

「まあ。それはすばらしいこと! それで、お仕立てはいつまでに?」

クモは、さっそくたずねました。

「じゃあ…あした!」 ヒガラはすぐさまこたえました。

「お時間は?」

「時間は、そうですねぇ…あさはやくに」

「ええと…明日の、朝はやく、と。まぁたいへんですこと」

クモの仕立て屋は、あたまをかきかき、ツヅラフジのまるい葉っぱでメモをとりました。

「しょうちしました。では、最後のしあげをほどこしおわりましたら、そこのまあるい庭先に咲いている、シャジンの花をゆらして、合図の鐘をならしますので、お品を引きとりにおいでください」

「わかりました。それじゃあよろしく」

そういって、ヒガラは蝶ネクタイをむすびなおすと、ツピンツピン、さえずりながら、朝もやのぬいわたる木立のかなたへと、すばしこく飛び去っていきました。

 

お客とわかれると、仕立て屋さんは、さっそく頭のなかに図柄(ずがら)をえがいて、いろいろと考えはじめました。

そうしてなにやらひとりごちながら、仕事場にもどりますと、すぐに仕事にとりかかりました。

エビヅルのつるべの先から、ツウ…と降りて、下をとおる、ツヅラフジのつむに足場をひとつ、つくっては、たて糸を張り、めまぐるしくぐるぐる回っては、よこ糸を張り…。

ところどころは、ひっぱったり、くるくるまるめたりなど、むずかしい編み方をしなければならない場所ももちろんありました。

…けれどもたんねんに、それはそれは精を出して、息をもつかず、仕事しました。

 

じき、お昼になろうとしていました。

クモは、わたあめのようにふわふわの冠をひとつ、やっとのことで編み上げますと、シャジンの花をツリンツリン鳴らしました。

しばらくすると、シデの木の梢のむこうから、ヒガラがむれをなして降りて来ました。

朝とはちがい、こんどは仲間をつれてやって来たのです。

「わぁきれい! ヤマアジサイの花を台に、つくってくれたんだ」

今朝やって来たヒガラが、さえずりました。

「なるほど。この冠のとがったてっぺんに、おおきなツユをひとつずつのせてくれたんですね」

別のヒガラも、たいそう感心したように、右に左に、首をかしげて言いました。

「ええ。でも風が吹くと乾いてしまいますから、お気をつけくださいね」

クモの仕立て屋が言いました。

「水晶(すいしょう)のようにかがやいてるね」

「ほんとうだ。あの虹の光をうけたら、どんなにきれいだろう」

他のヒガラもくちぐちにさけびました。

「ありがとう! クモの仕立て屋さん」 ヒガラたちはいっせいにお礼を言いました。

そうして、冠をこわさないよう、みんなでそっと飛び立つと、ツピンツピンツピン、お礼を言ってかえりました。

 

さて――。午後になると、ときおりふっと舞いあがるような、つよい風が吹きはじめました。

クモのレース編みにたわむれていたビーズたちも、みるみるうちにかわくと、数をへらしていきました。

レース編みは、風がふくたび、エビヅルのつるべの軒(のき)に巻きあがっては、はたはたとたわんで揺れています。

意外(いがい)に丈夫な網の目が、たてによこに、トランポリンのネットよろしく、はずんでは しなっています。

てんとう虫が、ぶんぶん、ぶん。おおきなニレの木のウロのむこうから、森の中にぽっかり空いた、ひなたの広場へ、散歩にやって来ました。

ふいに、透きとおった、おおきなおおきなレース編みが、かれの行く手をはばみました。

「おっと、あぶない、あぶない! もうちょっとでひっかかるところだった」

てんとう虫はあわてて翅(はね)をひっこめると、どなりました。

「いったいだれさ? こんなはた迷惑のところに、べたべたした編み物を張っているのは?」

すると、どこからか声がしました。

「クモの仕立て屋でござい。なんでも注文たまわります」

「仕立て屋? なんだ、そうだったのか。…な、なに。仕立て屋だって! やあ、そいつはいいことを聞いた」

てんとう虫は、急に機嫌をなおすと、元気よく宙がえりしました。

「それじゃあ、ひとつ注文したいんだけど」 てんとう虫は、せっかちに言いました。

「あのさ、ぼくら仲間は、おおきな網がほしいの。みんなでお空にむかっておひさまの光をすくいとる、透きとおった光の網を」

「光の網…」 クモの仕立て屋がくりかえしました。

「そう。たまにふしぎな光が通るでしょう? 林のなかにぽっかりあいた、あのあおいみずうみに射し込むふしぎな光。ハンの木の柱のあいだから、あたりいちめんに投げかける光さ。あいつを、ぼくたちみんなでうまい具合にうけとめられる、じょうぶな網を、ひとつ編んでもらえないかな。使い古しじゃない、新品のやつ!」 てんとう虫は、たいそうはしゃいでおりました。

「しょうちしました。それで、お仕立てはいつまでに?」

「もちろん、そのすてきな光の通るときまでにさ!」 

てんとう虫は、いばってこたえました。

「ええと、…すてきな光の通るときまで…。それはいったい、いつごろでしょう?」

「そうですねえ…きっと、明日の朝はやくじゃないかな」

「明日の朝はやく…と」 クモの仕立て屋は、ツヅラフジのまるい葉っぱで、しっかりメモをとりました。

「できそうですか?」

「ええもちろん!」クモはしっかりとこたえました。

「では、最後のしあげをほどこしおわりましたら、あのまあるい庭先の、シャジンの花をゆらして、鐘をならしますので、その合図をきいたら、お品を引きとりにおいでくださいな!」

「よろしくおねがいします」 てんとう虫はよろこんで、またもや宙がえりすると、そそくさと帰っていきました。

クモの仕立て屋は、さっそく頭のなかで、つぎの図柄(ずがら)をえがいて、いろいろと考えはじめました。

そうして、ほどなくつぎの仕事にとりかかりました。

ツウ…と降り、足場をつくってはたて糸を張り、めまぐるしくぐるぐる回ってはよこ糸を張り。

底のほうはことに、ふだん自分のくせでは編まないような、じょうぶでむずかしい編み方をしなければならない場所もありました。

…けれども息もつかずいっしょうけんめい仕事しました。

夕方になるころ、ようやくおおきなすくい網を編み上げますと、シャジンの花をツリンツリン、鳴らしました。 と、てんとう虫の坊やが、どこからともなく降りてきました。こんどは仲間をたくさん、連れています。

「もうできたの。わぁすごい!」 昼間のてんとう虫がさけびました。

「ほんとうだ。ところどころに、こまかいななめのししゅうがしてあって、きれいだね」

「ししゅうのところは、ツリバナのちっちゃい花を、ひとつひとつ縫(ぬ)い込んであるよ」

「とっても気に入りました。どうもありがとう!」

昼間のてんとう虫が先頭にたって言いますと、ほかのてんとう虫たちも、くるんくるん、宙返りしながら、みんなしてはしゃいではお礼を言いました。

そうして全員で、おおきな網をいっしょうけんめいもちあげると、ブブ~ン、といっせいにアクセルをふんで、飛んでいきました。

夜になりました。

「さて。店じまい」 こう言ってクモの仕立て屋は、パンパンと前あしをたたくと、軒にたらしたレース編みの下半分を巻きあげ、それはそれはてぎわよくのれんをたたみました。

月の光がこうこうと、まあるい庭を照らしつけています。 そのスポットライトのなかを、ふうわり、ふわり。わたすげの精たちが、夜風にのって舞い降りてきました。

沼(ぬま)のほとりの、白いまほう使いの箒(ほうき)みたいなおうちから旅だって、森まで遊びに来たのです。

「まあ。ここはなんて明るいんでしょう!」

「ほんとうに。くらい森のなか、ここにだけ、まるで目にみえない明かりとり窓がついているみたい」

などとくちぐちにおしゃべりしています。

と、そのうちひとりが言いました。

「あれはなに?」 わたすげの精たちは、それからみんなで、半月みたいに巻きあがった、クモの編み物をみおろすと、すぐさまそこへ降りていき、あちこち、思い思いの場所にとまりました。

「こんなところに、いいハンモックがあるわ」 ひとりが頭をもたせかけました。

「ちがうわ。これはショールよ」 べつのひとりがいいました。

わたすげの精たちは宙を舞いながら、そんなふうにくちぐちにおしゃべりしては、白いスカートをゆらして、ダンスしました。

羽根でできたかぼそい純白のスカートは、舞いあがったり降りたりしては、青銀色の月のあかるみに、ぼんやりと浮かびあがりました。

そのようすを見ていたクモの仕立て屋は、やぶのかげから思わずうっとりと見入っておりましたが、すぐに言いました。

「クモの仕立て屋でござい。何でも注文たまわります」

「まあ、こんばんは」 わたすげの精のひとりが、あいさつをしました。 仕立て屋は言いました。

「わたくしの店先ののれんに、あなたがたのうつくしい綿毛のかざりをほどこしてくださり、ありがとうございます。うつくしい作品になりますわ」

「ええ。よい休憩所にもなりますわ。じつに気に入りました」

別のわたすげの精が、ほほえみながら言いました。

「いっそこれをそのまま、いただきたいほどですわ。でも、せっかくですから、どうせなら、もすこしアレンジをしてくださるかしら。こうしたショールのようなのではなく、もっと、そう…つばさのような形に?」

「もちろん、できますとも!」 クモの仕立て屋はむねをはってこたえました。

「つばさにするには、そうですね…もうちょっとかたちをずらして、ただほんのすこし斜めにわたる細工を、いくつかほどこすだけで、すみますわ。プレゼントですか」

「ええ。とはいっても、はっきりとした相手にではないのですけれど」 すこし太ったわたすげの精が、肩をそびやかして言いました。

「まえまえから思っていたのですけれど…ぜひほしいんですの。あおいみずうみのほとりで、おひさまの光にあてがうとうつくしくかがやく、わたしたちの綿毛でできた、天のつばさのようなのを!」

「まあ。ペガサスのようなものですわね。…それで、お仕立てはいつまでに?」

「そう…はっきりとはわかりませんが、おそらく明日の朝ですわ」

「あ、明日の朝ですって! またしても。まぁたいへん。今日はなんていそがしい日ですこと!」 メモをとるのも忘れて、仕立て屋さんはさけびました。

「またしても、ですって。――というと、ほかにもいろいろ、ありましたのね」

「いったいどんな注文ですの?」 わたすげの精たちは、くちぐちにたずねました。

「ええと…。朝のうちには、あおいみずうみのほとりでおひさまの光にかぶせる冠。午後には、あおいみずうみのほとりでおひさまの光をうけとめる網。そうして夜には、いまのご注文(ちゅうもん)。

あおいみずうみのほとりでおひさまの光にあてがう、あなたがたの綿毛のつばさです」 仕立て屋さんは、ちょっとじまんげに言いました。

「まぁ! なんておいそがしいこと」 わたすげの精たちは、月あかりのもとでいっせいに笑い声をあげました。

「それに、みんな考えることとては、いっしょですわ?」

「それほどみんなが、あおいみずうみのほとりで、すてきな朝の光の来るのを待ちわびていたんですのね」

「きっと、クモさんの糸が、朝の光をきれいに透かして、かがやくことうけあいなのを、みなが知っているというわけね」

クモの仕立て屋は、それを聞くと、なんだかうれしくって仕方ありませんでした。そうしてすこしうきうきしながら、言いました。

「では、ざいりょうになるわたくしどもの綿毛を、わたしていきますわ。ちょっとおまちくださいな」

わたすげの精たちはいうと、空中に舞いあがり、みんなしていっせいにこしをふりふり、ダンスしはじめました。

すると、みなのまっ白い体から、月の光にかがやく綿毛が、ふわりふわり、おびただしく地面に落ちてきました。

いちばんふとったわたすげの精からは、とくにはげしく舞い落ちてきました。

「まあなんてすばらしい。さあさあ、もうこのくらいあれば十分ですわ。」

仕立て屋はそうさけぶと、みなのダンスをとめました。

わたすげの精たちはつぎつぎと地面に降りてきました。みな、さっきよりだいぶやせています。

仕立て屋さんは、こういいました。

「では、最後のしあげをほどこしおわりましたら、シャジンの花の鐘を鳴らして合図をしますので、お品を引きとりにおいでください」

「わかりました。おねがいしますわ。ありがとう仕立て屋さん」 わたすげの精たちは、ふたたび空中に舞い上がり、みんなしてひとつにあつまると、まほうの箒(ほうき)みたいな白い綿毛のスカートを、みんなでふわふわゆらしながら、東の夜空へと消えていきました。

「さて、と…」クモの仕立て屋はみなを見送ると、ひとりごちました。

「このさいごのご注文は、店さきにわたしてある、クモ糸ののれんと同じ型紙(かたがみ)に、すこし手をくわえてつばさをかたどるおしごとだわ」

そう言って、クモの仕立て屋は、さっそく足もとのつるべをつたいのぼりました。

そうして、やがてツツウ…とエビヅルの空中ブランコからまっすぐにおりると、こんどはすこしはなれたツヅラフジのロープへとななめに降りて、葉棘(とげ)のつむざおにあたらしい足場をつくりました。

それから、軸糸(じくいと)をめぐらし、弧(こ)を描いてはほんのすこし、ななめにずらし、また弧を描いてはななめにずらしていきました。

みるみるうちに、やわらかい曲線をえがく、透きとおったつばさが、できあがっていきます。 つばさの先のほうには、ちょっと手の込んだ細工を、クモはほどこしました。

よけいな糸をつまみあわせて、しだいに細くしていくのでした。 そうしてすっかり糸をつむぎおわりますと、クモの仕立て屋さんは、こんどはこのクモ糸のつばさの上に、わたすげの精たちののこしていった、うつくしいかぼそい綿毛を、ひとつひとつていねいに置いていきました。

そうして綿毛の先を、こっそりとクモ糸のあちこちに編み込んでいくのです。

この庭にふうわりと腰をおろしていたかのじょたちの、うつくしい光景を思い浮かべては、クモの仕立て屋はほほえんでいました。

はてさて。けっきょく今度も、仕立て屋さんは息もつかずいっしょうけんめい、仕事しました。

そうしてよなべして、この日に受けたさいごの注文も、とうとう無事におわらせたのでした。

ふぅ…汗をぬぐいながら、クモはまた、シャジンの鐘をツリンツリンならしました。

しばらくすると、わたすげの精たちが、ふうわりふわり、あかつきを背に、まるい広場に舞い降りてきました。

「ごくろうさま。まあなんと、すばらしいわ!」

「ほんとうに、ペガサスのようだわね」

「でもやっぱり、ここちよいハンモックのようですわ。ここでずっと、眠りにつきたいくらい」

わたすげたちは、くちぐちにさけんではお礼を言って、クモの仕立て屋をねぎらってくれました。

そうして、みんなして集まると、まっ白な箒(ほうき)にのって、夜明けまぢかいうっすらとした月明かりの中、うきうきと舞い立っていきました。

 

* * *

 

あけがたのこと。 林のなかにぽっかりあいた、真空の鏡(かがみ)のようなあおい湖のほとり。

ヒガラの群れ、てんとう虫たち、そしてわたすげの精らが、めいめいの贈り物をもって、岸辺にあつまっていました。

それは、ツヅラフジの茎とつるべの、たてよこななめに、ごちゃごちゃとおいしげる、やぶのマストの辺りでした。

みなはくちぐちに、自分たちの編み物を、じまんしあっていました。

あおい空には、うっすらと白い絵の具のにじんだような膜が、かかっています。

おひさまはまだ、すっかり姿をあらわしてはいません。 うすらいだ膜のむこうに、透けはじめたおひさまが、ついに湖のま上にさしかかった、その時です…。

 

ツピンツピン、チチ… かぼそい銀いろのさえずりが、森にこだましますと、この瞬間を待ち受けていたヒガラの群れが、空をめざして飛びたちました。

レース編みは、みずうみの真上の宙をただよいはじめました。

と、ふいに膜のはれ間から、色とりどりの小さな虹の水玉がはじけ、雨露(あまつゆ)となってまっさおなみずうみに落ちてきました。

お空のてっぺんには、天の輪っかがぽっかりと浮かびあがりました。

そう、ヒガラたちがかかげた、クモ糸の冠のむこうがわにです…。

それはまあ、何という夢のような光景でしょう。 ヒガラたちが舞いつつあおぐ、クモ糸の冠を、透きとおった王様よろしく、頭上にいただいてほほえんでいる、こうごうしい天の輪っかは、ちょうどこの森の反対がわ、あおいみずうみの向こう岸にそびえたつ、こわれかかった寺院(じいん)の塔(とう)のとんがり屋根に、いまはぴったりかぶさって、やわらかに光かがやいているのでした。

「ほぉー…」

森のあちこちから、おもわず木もれ日のようなため息がもれました。

と、もうまたたく間に、こんどは膜の裂(さ)け目から、てんとう虫たちのかかげる、透きとおった光の網が、ぱっと放たれたではありませんか。

光の網は、それはそれはまぶしげに、空いっぱいにひろがったと思うと、たちまち七色の光のかげを、うっとりと静まりかえった湖の鏡のあちらこちらに、反射させはじめたのです。

きらきらと輝きながらも、光の網は、あおくけぶる辺り一帯をそっと包んで、夢のようにたわむれはじめました。スローモーションでひろがる日射しの噴水(ふんすい)さながらに…。

そうして、あおい日射しの噴水は、湖のなかにゆっくり、ゆっくりと、吸い込まれていきました。

 

―――― それから、どれくらい時間がたったでしょう? 

森のみんなが、しばらくの間うっとりとしておりますと、天の輪っかにくるまれたふしぎな光のおひさまは、いつしか、あおい劇場をささえる左右の円柱(えんちゅう)よろしくそそりたつ、ハンの木の合間にやってきました。

おひさまは、花火のようにチラチラと、ハンの木の円柱の間をぬいはじめました。

そうして、木立にかざした、わたすげの精たちのたなびかせる、天のつばさのスクリーンに、すこしずつ、すこしずつ、近づいていきました。 みなは、息をのんでそれをじっと見守りました。

 

―――― 今、おひさまは、いつしか天のつばさのスクリーンの、ちょうど真ん中に届こうとしていました…。

みなの心は高なりました…。

とその時、ヒガラたちの冠(かんむり)をそのてっぺんにいただいて、おひさまはこれまでにないほど、それはそれはキラキラと、かがやきはじめたのでした。

「やあ。おひさまが笑ってる」

「よろこんでくれているんだね」

「あれは天からの贈(おく)り物だ」

みなはくちぐちに言いました。

その間にも、その冠をかぶったおひさまをくるむ、天の輪っかを降りてくる、長いながい光芒(こうぼう)の下には、てんとう虫たちの投げかけた光の網が、じっくりとまちかまえておりました。

おひさまは、青白い光をやんわりとたゆたわせながら、純白のあわのような光の網のなかに、虹の七色をゆっくりと波打たせました。

それはまるで、船の帆のようにぱたぱたと風をはらみながら、もやの中にゆらめき立ちました。

帆のむこうのおひさまは、ふるえる光の影を、あおいみずうみの鏡舞台(かがみぶたい)に、きらきらと映しだしていました…。

この光景を目にした森の住人たちは、ふたたび思わずどよめきました。

そして、それはもううれしそうに、たがいにダンスし合ってよろこびました。

みんなが天の光にかざした森のおくりものは、こうしてお空のほんのつかの間の、透きとおった出来事になったのでした。

 

―――― まるい広場のおまつりのあと、森ぢゅうにひとしきり、ほそい雨がふりそそぎました。

 

     * * *

 

その、翌朝のこと。

あおいみずうみのほとりをつたう森の小径(こみち)を、ひとりのおじいさんとぼうやが、通りかかりました。

この森のまえを通るたび、おじいさんはいつも、ぼうやに言うのでした。

五十年前、この森は大火事にあったのだよ。よくもまぁ、こうもうっそうと草木の生い茂る森に、生まれ変わったものじゃ、と。

おじいさんは今朝も、ここを通ると、ふと立ち止まり、ひとりごちました。

「どうやって、火はおさまったの?」 ぼうやがききました。

「とつぜん、空にふしぎな膜がかかって、雨が降ってきたのじゃよ…それから大雨になってのう。あのあおい湖があふれんばかりに、降ったものだった。

――今思うと、あの雨は、きっと救いの雨だったのじゃろう」 ふたりは、あたりを見まわしました。

 

「おじいさん、みてみて。あれはなに?」 ぼうやはいいながら、森の入口のやぶを指さして、おじいさんのそでをひっぱりました。

「どれじゃな? ああ、あのハンノキの木立のむこうか」 おじいさんが言いました。

それはツヅラフジのつるべで、たいそうごちゃごちゃとからみ合った、やぶでした。

手前には、ねこじゃらしの穂が風にそっとなびいては、こんにちは、とおじぎをしています。

そのむこうから、ももいろをしたシモツケソウのシャンデリアが、いらっしゃいませ、ゆらゆらゆれては、あいさつしていました。

あおいみずうみをはさんだ、やぶの向こう岸には、古びた寺院の塔のとんがり屋根が、雨あがりの朝日をあびて、しずかにたたずんでいました。

「はて、あのやぶにかかる、もやもやとしたふしぎなものは、なんじゃろうの」 おじいさんは、長いひげのはえたあごをさすりながら、言いました。

「ほんと。まるで、むかしむかしのお船の帆みたいに、風にたわんでるよ!」 ぼうやも言いました。

「おおそうじゃ。ひからびた帆かけ船のようじゃ。いやはや。あれはきっと、クモの巣だ。朝露にぬれて、それはそれはきれいじゃのう」

「虹のビーズだ。ほら、ひかっているよ! あっちでもこっちでも」

ふたりはおもわず、そのクモの巣の舞台装置(ぶたいそうち)にそっと近づいていきました。

ツヅラフジのやぶは、なるほど遠いむかしの物語にとじこめられた、ひしゃげたマストのようでした。

「クモの網の帆のうえを、ちいさい虹の玉が、糸をつたって遊んでるね」

「光の精がいそがしそうに行き交(か)っておるのう」

「なんだか、おまつりのあとみたいだね」 ぼうやがわらって言いました。

「きっと森の生きものたちがあつまってクモの糸で遊んだあと、片づけていくのを忘れたんじゃろう」

それからおじいさんとぼうやは家に帰りましたが、ぼうやはあのこわれた船の帆みたいなもやもやのことが、忘れられませんでした。

薪(まき)わりを手伝っている間も、お昼ごはんを食べている間も、あのうつくしい無数のビーズをたたえて、きらきらきらきら光っていた、クモ糸のレース編みのことが、頭からはなれなかったのです。

ぼうやは思い切って、おじいさんにおねだりしました。

「ねぇ、おじいさん。けさみたようなふしぎな、ほそいほそい糸で編んだ船の帆を、つくってよ。おねがいだから。ね、いつものようにじょうずに!」

いつものように、じょうずに、ですって?

―― ええ、じつは、おじいさんは、飴細工(あめざいく)の職人だったのです。

よくねりこんだ飴を、空中ですぅーい、とのばし、じつにいろいろな形を、みるみるうちにつくっては、おじいさんはいつも、ぼうやにみせてくれるのでした。

うさぎや、カラスや、キリンや、それはそれはいろいろな動物たち。それにお花やお人形も。

「ううむ。だが、あんなこまかくてかぼそい糸で編んだ船の帆をつくるのは、このわしとても、それはたいそう、むずかしいことじゃ」

おじいさんはそう言いながらも、もうかおをほころばしています。 ぼうやに何度もせがまれては、どうにも仕方ありません。

松葉杖(まつばづえ)につかまりながらも、よっこらしょと椅子から立ち上がりました。

そうして、テーブルの上の棚(たな)から、飴のどっさり入った壺(つぼ)をおろすと、中にきねをいれ、ゆっくりとまわしはじめました。

おじいさんは、たいそう時間をかけて飴をねると、二本の棒(ぼう)をつっこんで、ふいともちあげました。

そうして、そのまま棒のさきを、空中にときはなちました。

ひゅるるるる…… 飴はほそいほそい糸をひきながら、まるでまほう使いのような、おじいさんの棒さばきで、こわれかかった船の帆を、いっきに宙になぞりました。

と、けさ見たのとそっくりな、ふしぎな黄金のレース編みを、またたく間に仕立ててしまいました。

「わぁすごいや。目がまわる!」 ぼうやがさけびました。

「きれいだよ! けさ見たのは銀の糸みたいだけど、これは金の糸だね、おじいさん」

「虹の光のビーズ玉こそないが、こうしてみると、これもなかなかきれいじゃのう。われながらなかなかの出来ばえじゃ」

おじいさんもにこにこしていいました。

「おじいさん。これ、森のあそこへ見せに行こうよ!」 ぼうやは言うと、またおじいさんの袖(そで)をひっぱってせがみました。

夕方になるとふたりは、あのうつくしいクモの巣のたわむ、森へと出かけました。そして森の小径をとおり、けさと同じハンの木劇場(げきじょう)の入口の前に立ちました。

おや?と、ぼうやは首をかしげました。

「ビーズ玉がどこかへ行っちゃった」

「ほぉ…そういえば、そうじゃのう」 おじいさんも、そっとつぶやきました。

「あそこだったよね。レース編み――もやもやは、たしかにかかっているけれど、朝みたいにキラキラかがやいてないよ、おじいさん」

「そうじゃな…。おそらくあれは朝露が、あちこちにやどっていたんだろう。いまはすっかり風に吹かれて、かわいて消えてしまったのじゃな」

おじいさんが腕組みして言いました。

「これじゃあ、ただのこわれたみじめな船の帆だ」 ぼうやはがっかりしました。

「いやいや、そんなことはないぞ。多少しぼんでしおれてはみえるが、今みてもなかなかの力作じゃ」 おじいさんは、あごひげをこすりながら、ぼうやに言って聞かせました。

「いったい、こんなていねいな編み仕事をしたクモの仕立て屋は、どこに住んでおるかのう」

おじいさんがそう言って、目を細めながら感心しておりますと、やぶの少し先から、ツリンツリンツリン、ささやかなベルの音がきこえました。

風になびいたシャジンの花が、小首をふって、鐘を鳴らしたのです。

鐘の音は、こちらへおいで、こちらへおいで、とささやいていました。

「おじいさん。ほら、あそこだ!」 ぼうやはさけぶと、おじいさんの袖(そで)を引っ張って、小さな靴であわてて森の奥へと駆けて行きました。

おじいさんも、松葉杖(まつばづえ)をつきながら、よちよちした足どりで、坊やにつられてかけて行きました。

みると、森の中にとつぜんぽっかりと空いた草地の広場の奥に、「クモの仕立て屋」と、エビヅルのつるべの文字をはわせたクモの巣ののれんが、ツヅラフジのやぶの手前にかかっていました。

「おじいさん、ここだね」 ぼうやがはしゃいで言いました。

「おおここじゃ、ここじゃ。ちょっとおじゃましてみようかの」 おじいさんも言いました。

ふたりがそっとのれんをくぐりますと、

「いらっしゃい。クモの仕立て屋でござい。なんでも注文たまわります」 元気な声がかえってきました。

「けさがた、森の入口でたいそううつくしい船の帆を見かけたんじゃが、あれを編んだのは、おまえさんかね?」

おじいさんがたずねました。 クモは、つむざおの向こうから、ひょっこり顔を出すと、あわててこたえました。

「ああ。ええまあ…。――といってもあれは、こんな夕方にでもなりますと、まるで嵐に合ったあとの船みたいな〈ざんがい〉に、なってしまいましたでしょうけれど。

――それでもあれは、なんとか私がひと晩かけて、いっしょうけんめいにおつくりしたものでございます」

クモの仕立て屋は、はずかしそうにうちあけました。

「じつは昨日、たくさんの注文がありまして…なにしろ天の冠(かんむり)に天の翼(つばさ)、そして光の網(あみ)のご注文を、一気に引き受けて、みながそれを持ちよってあそこのやぶに集まりましたの。それが、時のたつにつれて、きっとみんなひとつに合わさってしまったのですよ」

クモはそう言いおえると、ちょっともじもじしました。

それを聞いておじいさんは、思わず目をほそめました。

「そうでしたか…。いやじつは、わしもあのうつくしい、かしいだ帆掛け船をまねて、ひとつ飴細工(あめざいく)をつくったのじゃがな。もしよろしければ、あなたにプレゼントしましょう。あなたのよりはずっと小さいが…」

おじいさんはそう言いながら、まがった腰のうしろにかくしていた、うつくしい飴細工を、そっとクモの前にかざしました。

それを見ると、クモの仕立て屋は、たいそうおどろいて言いました。

「まぁなんてうつくしいこと! 私の仕立てものは銀の糸だけれど、これは黄金の糸のようですわね」

そうして、クリーム色した穂のたちならぶ、ツヅラフジのカウンターからはい出すと、おじいさんの方へおずおずと近寄って、よくよく見入りました。

「かぼそい一本一本をみるとちがいがわかりませんが、すこしはなれてみますと、かすかに黄金色(こがねいろ)に、かがやいておりますわ…。なんとうつくしい金の糸でしょう」

「いやいや。わしのはほんの一瞬、飴(あめ)を宙(ちゅう)に放りなげて、くるくるくるっとまわしてつくるもので、おまえさんのようにこつこつと時間をかけてしあげる、こうした手の込んだもののようには、いかないのじゃが」

おじいさんが、しらが頭をかいて言いました。

「そのかわりに、ほんの一瞬でしかつくれない、うつくしさがありますわ!」 クモはたいそう感激(かんげき)したようすでした。

「これを私にくださいますの」

「よかったら、おもてののれんの脇にでも添(そ)えてくだされ」

「まあうれしい。ではさっそく、店の看板(かんばん)にさせていただきますわ。すみませんが、のれんの横のすこし高いところに、そのうつくしい金色の飴細工をかけてくださいませんか?」クモはいいました。

それで、おじいさんとぼうやはさっそく店先に出ると、帆かけ船の紋章(もんしょう)のような飴細工を、クモの網(あみ)のれんの小脇(こわき)に飛び出していたエビヅルのつるべを切ってやり、そのヒモを、飴細工の穴にそっと通してやりますと、エビヅルの鉤(かぎ)のひとつに、みごとにひっかかりました。

レース編みののれんが風にたわむと、帆かけ船の飴細工も、いっしょになって揺れながら、それはそれはきらきらかがやいて、なんとうつくしかったことでしょう。

庭のシャジンも、うれしそうにツリンツリン、かぼそい首を振りながら、ふたたび鐘を鳴らしました。

と、どうでしょう。

チュピチュピチュピ、ジョリジョリジョリ、ヒー・ホー・キー。

どこからともなく、小鳥たちの声がきこえたとおもうと、それはもう森のあちこちから、おしゃべりさんたちが降りてきました。

ヒガラやコガラ、シジュウカラはもちろん、ルリビタキやクロツグミまでもが、森の奥からやってきました。

小鳥たちはもちろん、リス、うさぎ、かやねずみたちも、やぶのむこうからかけて来ました。そしてくちぐちに、はじめて見る金の紋章を、ほめたたえました。

てんとう虫たちは、コガネ虫までひきつれて、どこからともなく集まってきては、うれしそうにブンブン、あたりを飛び交いました。

いろんな羽根をしたチョウチョウもやってきて、マリオネットのみえない糸でつられるように、ひらひら飛び交い、おどりはじめました。

夕方の光を浴びながら、わたすげの精たちも、ブナのこずえの向こうから、ふうわりと舞い降りてきました。

そして、あわ雪のダンスよろしく、たのしげに腰を振りながら、あたりをただよいはじめました。

こうして、みんなしてクモの仕立て屋の、店のまわりをとりまきながら、うれしそうにおどり、うたいました。

それは日暮れの、もうひとつのささやかな、森のおまつりとなったのでした。

 

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5)読み聞かせ・朗読用 短編童話

 

【鏡のない国とふしぎな回転扉】

 

ある領土に、すこしかわった王さまが住んでいました。

自分の領土に住むひとびとは、鏡を持ってはいけない、というおふれを出していたのです。

それで昔からこの領土に住む人々は、鏡というものを見たことがありませんでしたし、鏡に自分の姿を映しだしたこともありませんでした。

したがってみなは自分の顔というものを、知りませんでした。

領土に住むひとびとはめいめい、自分の顔を人には見られているけれど、自分自身では一生、知ることがない、というわけです。

王さまはいったい、なぜそんなおふれを出したというのでしょう。なんでも、鏡などというものがなくたって、人は生きて行けるし、そのほうが仕事にも熱心に打ち込める、という理由だそうでした。

鏡をつくらない、ということにかけて、王さまはまったくぬかりがありませんでした。たとえば湖や池など、自然と姿の映し出されるものまで、この国にはいっさいつくらせないようにしていました。

川も、ひじょうに流れが急で、姿など映る余地のないものばかりにしておりましたし、雨が降って道に水たまりが出来ると、けらいたちをいっせいに召しあつめ、すぐさま国ぢゅうから水をうち払わせ、一滴のこらず汲みとらせてしまうほどでした。

領土内で使われる食器――スプーンやナイフも、金属製のものはすべてごはっとで、木製のものにかぎられていました。

さて王さまには、四人の王子さまがありました。

一番上の王子は、それはたいそう王さま似でした。

二番目の王子も王さまに似ていましたが、一番上の王子より、すこしだけお妃さま似でした。

三番目の王子は、二番目の王子よりもっとお妃さま似でした。

四番目の王子は、たいそうお妃さま似で、王さまにはほとんど似たところがありませんでした。

一番上の王子は、植物を育てたり切った木で木工をするのが好きで、木の種類や花の名をよく知っていました。

二番目の王子は、お話を作ったり聞いたりするのが幼い頃から好きで、兄弟の中ではいっとう本も数多く読んでいました。

三番目の王子は、子ども時代から音楽がとても好きでした。自分でも、ヴァイオリンを弾くことが出来ました。

四番目の王子は、甘えん坊でそれはとてもかわいらしい性格なので、誰にでも好かれていました。

 

四人は大変仲がよく、ひとりで過ごすほんの数時間以外は、たいてい広い城の庭のなかでいっしょに遊んでくらしていました。

城の庭のまんなかには、白樺にまるくかこまれた、たいそう気持ちのよいひだまりがあって、白い円卓のまわりを、木の切り株が四つほど、輪になってとりかこんでいました。

もちろんこれは、王子たちの座る椅子でした。王子たちは馬に乗ったり、行列して城下を巡り歩いたりしたあと、たいていいつもここに来てこしかけ、みんなでおやつを食べたりチェスをしながらおしゃべりし合っていました。

 

「それにしても」一番上の王子がお菓子をほおばりながらいいました。

「どうしてぼくたちの国には、鏡ってものがないのだろうな」

「王さまは、がんこだからな。とはいえ、いったい自分がどういう姿をし、どういう顔をしているのか、きみたちは気になったことがないかい?」

二番目の王子がいいました。

「それはあるさ。何だか大人になってくるにつれて、かえってよけいに気になるほどだ」

三番目の王子がいいました。

「この前、となりの国からぼくとおない年くらいのお姫さまが遊びに来たとき、手をとってダンスをしようと思ったけれど、ふとぼくはこんなにかわいいお姫さまと踊るほどのかわいい王子かしらんと思って、やめてしまったよ」

末の王子がそういって笑いました。

「おまえは可愛いやつさ。ぼくらにはよく見えている」

三番目の王子がほほえんで、となりの末子にそう言ってから、

「だけどそういうぼくには自分がわからない。たとえばぼくには、兄さんと、つぎの兄さんと、弟の顔はこうして見えているけれど、自分の顔はわからないから、いったいこのぼくは、どういう姿形をしているのだろうと、いつもふと想像するばかりなんだぜ。ひとびとは、ぼくたち兄弟が、じゅんぐりに王さま似からお妃似へと移っていくようだと、ひどく感心しているくらいだから、きっとぼくは、二番目の兄さんと弟の、間のような顔なんだろうなぁとは思うけれど、それはいつも想像するだけで、はっきりとはわからない。だのに、ふしぎなことに兄さんたちは、そして弟も、このぼくの顔をよく知っているんだろう?」

「知っているさ」

末っ子の王子はこたえると、にこにこ笑いながら言いました。

「こうして見てるとほんとうに兄さんは、二番目の兄さんよりももっと、お妃さま似だよ。でもそういうぼくは、兄さんよりもっとお妃似だよといわれても、それでは自分がどんなに、お妃似なのかは、やっぱりわからないや。自分にだけは自分が見えないのだもの。いつもひとのうわさで、それを知るだけ。いったい王さまとは、どれほどかけ離れているんだろう、ぼくの顔かたちときたら」

「つくづく思うのだが、なにしろこの世で一番ふしぎなことは、この自分の顔かたちを、当の自分だけが知っていないということさ。他人にはよく見えているというのに。自分だけが、自分のほんとうの姿を知らないなんて!ぼくだって、他の全てのものの姿は、こんなによく見えているのだが…」

二番目の兄がため息をついていいました。

みんなはいっせいに、うなづき合いました。

「ただぼくらの姿は、たしかにたがいによく似ていそうだね。顔のことはほんとうにわからない。そう、からだのすべてを完全にはわからないけれど…なにしろ自分の顔のぶんだけは、ぽっかりと知識が抜けおちているのだから。けれども足の長さや、だいたいの骨格は想像しやすい気がするよ。からだの方は、自分でもある程度、見えているからね、ほらこうして...」

三番目の王子はそう言うと、自分の眼下を見おろして、切り株の椅子に座ったまま、青いうつくしいズボンとブーツをはいた、長い足をもちあげてみました。

「いっとう上の兄さんが、ぼくよりいくらかだけど太っていて、なんだか下へ行くほど少しずつ、やせていくようだね」

二番目の兄さんが、みんなを見わたしながら、言いました。

そしてこんどは自分のからだをゆっくり見下ろすと、

「ほら、こうしてながめていると自分でもある程度は見えるが、ぼくの脚は兄さんより少しだけ細そうだ。胸回りもきっとそうなのだろう」

三番目の王子と末っ子の王子も、一番上と二番目の王子とをかわりばんこに見くらべながら、うなずいています。

「だがそれにしても、一度は自分で自分のすべてを見てみたいものだな」

一番上の王子はそう言うと、ふと立ち上がりました。

するとみんなもつぎつぎに立ち上がりました。

「どこかで鏡を手に入れることはできないものかな!」

末っ子の王子が、さすがにすこしいらいらした調子でいいました。

「ああそうだ。そういえばいつか、王さまは、城の地下に魔法使いをかくまっていると聞いたっけ。そいつをぼくらで、たずねてみようじゃないか」

三番目の王子がさけびました。

「地下のいったいどのあたりだい?」みんながききました。

「それはわからないけれど、王さまに気づかれないように、さがしてみよう」

そんなわけで、四人の王子たちは城の地下巡りをひそかにはじめることにしたのでした。

王子たちはその日以来、すっかり夜もふけた頃になるとみんなでひっそり起きてきて、ろうそくの灯火だけをたよりに、城の地下をこっそり巡るようになりました。

けれどもいっこうに魔法使いの棲む部屋を見つけ出すことは出来ませんでした。

王子たちはある晩、一番末っ子の部屋にあつまると、いっとう信頼のおける女の召使いを、部屋に呼びつけてたずねてみました。

すると女の召使いがこうこたえました。

「私もはっきりとはぞんじませんが、うわさによると魔法使いというのは、男の人のようなのです。なんでも王さまは、城のなかにひとりの溶接工(ようせつこう)をやとっておいでとのことですが、それはそれは不思議なものを、つくられる方のようです。それというのも、けして目には見えないものばかり、つくっておられるとか。けれども番人たちによると、火を吹き付ける音やら、鍛冶やのように打ちものをする音は、扉のむこうからたしかに聞こえてくるのだそうです。ひょっとすると、その方が、男の魔法使いなのかもしれません。」

「それで、その部屋はいったい地下のどの辺りなんだい?」

「なんでも地下の通路の、いっとう西の果ての、さらに向こうへうがたれた孔においでだそうで。ガス灯がひとつ、ゆらゆらとゆらめいているといううわさです」

「わかったよ。ありがとう」

兄弟たちは召使いにお礼を言って、このことはだれにも告げ口しないよう念を押すと、召使いを下がらせ、みんなで顔を見あわせてうちあわせました。

次の晩でした。四人の王子の兄弟は、王さまとお妃さまが床に就かれてしばらくしたあと、また末の子の部屋に集まりました。

そうしてこっそりしのび足で夜ふけの廊下を歩いていき、ほの暗い地下路の西の突き当たりへとたどりつきました。

と、そこは古い白亜の壁で塗りかためられておりましたが、よくよく目を凝らしてみると、その隅にはちょうど人ひとり分の大きさのひび割れがあり、四人のうちのひとりがためしに壁に身体を押しつけてみると、なんと、ぐうるりと回ってすきまが開いたではありませんか。

四人はどきどきしながら、洞窟のように真っ暗な中をしばらく進むと、召使いの言うとおり、奥にガス灯があやしげにゆらめいていました。

...耳を澄ますと、こんな夜中でもなにやら鉱物に焼きを入れる音がしています。

コツコツ、扉を叩きますと、鍛冶の音がやんで、暗い部屋の中から、がいこつさながらの顔をした男が出てきました。

が、その体つきはさすがにたいそう頑丈そうでした。

「これはこれは、王子さまがた。この夜ふけに何のごようで」男が低い声でいいながら、四人の王子を中へ通しました。

「おまえは、何でも作れるのかい?」一番上の王子がたずねました。

「さよう。目に見えぬものなら、何でもお望み通りに」男はこたえました。

「ぼくらの国には、知っての通り、鏡というものがどこにもないのだが、おまえは鏡をつくれるかい?」二番目の王子がききました。

「鏡ならかんたんにつくれますが、この国ではつくってはいけないことになっております。ですからこの国にかくまわれて以来、鏡はつくってはおりません。しかし、私のつくれるものは、正確には鏡ではありません」

「というと?」三番目の王子が首をかしげました。

「ここ以外のあらゆる国で、いえ、世界中の国々で使われている鏡というものは、どうしても実物とは左右が反対に映し出されるのですが、私のつくるものは、はじめから左右反対ではありません。つまり、実物そのものの像が映し出されます」

「つまりそれが、魔法なのかい?」末っ子の王子が目をまるくしていいました。

「なに、そんなことは訳もございません。それどころか、そいつは目に見えないし、触わってもわからない、まるで空気とそっくりのものなので、見ていることも、持っていることも、使っていることも、まったく人にわかられずにすむのです」 それを聞いて、四人はほんとうにびっくりしてしまいました。

「今ちょうど、おもしろいものをつくろうとしているところでございます」溶接工の男はすこしかしこまって言いました。

「いつでもどこでもたずさえていける、伸びちぢみ自由、折りたたみ自在の、色々な世界を映し出す回転扉でございます。といっても、繰り返しますがこれは、正像を映すものですし、目にも見えなければ、ひとが触ってもわからない、まったく自由な代物ですので、正確には鏡とはよばないのですが」

「それはいったい、どんなかたちのですか」

「みせてください!」みんなは口々にいいました。

「いえいえ。まだつくってはおりません。というのも、けして<出来あい>のものではないのです。なにしろ、ひとりひとりに合わせてつくらなければなりませんのでな。...おつくりしましょうか?」

「ええぜひ!」王子たちはくちぐちにさけびました。

「では、ひとりひとり、からだをおかしくださいませ」男はこう、奇妙なことを言いました。

そして目には見えない、何かやわらかそうなものを持ってくると、ひとりひとりの王子を部屋のまん中に立たせ、そのからだに何かを当て、それぞれの<かたどり>をつくりました。

「こいつはいわば、浮彫(レリーフ)の反対のようなもの。ちょうど今かたどったみなさんのお姿のぶん、凹(へこ)んだしろものでして。もちろん、この凸凹(でこぼこ)は裏返しにもなりますが。さてこいつはやがて、私の魔法ひとつで伸びちぢみ自由、折りたたみ自在なものとなります。これをもとに、おひとりおひとり、すこしずつちがったものを、おつくりいたします」

そういうなり、男はさっきつくったうちひとつの凹んだかたどりを軸に、魔法の杖をふりあげ、宙にぐるりとひとまわりさせると、同じ動作を四度ほど繰り返し、あっという間に何か目に見えない、すこしずつ異なった四つのものを、つくりあげました。

「できました。こいつで…」溶接工の魔法使いは、その見えない何かをそれぞれ王子たちに手わたしました。

しかし、四人には何も見えないばかりか、何にも触れた気がしませんでした。

魔法使いはひとりひとりの王子のかたわらに立つと、手をかしてやり、今つくった<何か>を床に突き立てるような仕草をし、そのたび、王子たちに手招きして、めいめい一歩前へ立たせました。

そして王子たちが、男の指示する、びみょうなある地点までちょうど歩み寄った時、

「ほうっ!」とさけんで杖を上下させたのでした。

「さあ、これでできました。立つも座るも、寝るも踊るも、もう自由です」男が言いました。

そうしてしばらくした時です。

「あっ。ぼくの姿が見えた!」一番上の兄がさけびました。

他の王子たちはおどろいて一番上の兄のほうを見ました。

ところが、他の兄弟たちには、兄の姿が映っているのがまったく見えません。

「やぁ。じつにふしぎな感覚だ!」兄がさけんでいます。

「ぼくははじめて自分の姿を見た…。ぼくはこんな顔立ちなのか。たしかに、弟たちに似ているが、王さまにはほんとうに似ている」 とそのうち、他の王子もくちぐちにさけび出しました。

「あ。目の前にだれかあらわれた。これはぼくだ」

「映った映った、これはぼくだ」

「こうしてぼくがすこしずつまわると、ぼくの像もすこしずつ動いて、自分のななめや横を向いた姿や、おや、ま後ろまでみえる。ま後ろになったぼくの姿は、まるでぐるりとひとまわりして、背中のほうからぼくにぴったりはりついたみたいだ!」

などと。

けれども、不思議なことにそんなふうにそれぞれに映った像は、本人にしか見えず、他の王子には見えないのでした。

自分の像は、たしかに目の前にあらわれてこちらをみつめていたり、少しずつ角度をかえながらぐるりと一回りもするのですが、自分じしんの周りにしかあらわれないようでした。

「すると、さっきまであった<まわりの景色>は、どこへ行っちゃったんだろう?」二番目の王子が、そうつぶやくなり、また「あれっ」と小さくさけびました。

今ちょうど、二番目の王子の目には、自分じしんの映っている像のもっと奥に、他の王子たちの、おどろいたり笑ったりしている姿も、うっすらとすこしずつ、見えはじめたのです。

得意げにわらっている魔法使いの男の姿も、視界の隅に見えはじめました。

そうしてそれらはふしぎなことに、意識すればするほど、もっとはっきりと見えてきます。と同時に、さっきまではっきりと映し出されていた、初めて見る自分じしんの姿のほうは、どんどんと薄くなっていきました。

「おや。せっかくあらわれた自分の姿が、見るまに消えていく!」今度は三番目の王子のさけぶ声がしました。

(みな同じようなことを体験しているのです。)

と、さけぶやいなや、みるみるうちに、王子の目の前には、自分じしんの姿がくっきりと、ふたたび見えてきました。

「やぁ。復活した!」

「さようで。見たい、と思った像が、あらわれるのですよ」魔法使いの男がいいました。

風景は風景として、これまでとかわりない仕方で見ることができるのでした。

が、風景よりも自分の姿をよく見たい、と思えばただちに、ほんとうなら見えないはずの自分自身の姿が浮き出てくる、そしてまた、自分よりもまわりをみたい、と思えばそちらが映り出す、というふうでした。

「自分の像が完全にはっきり見えているまま、これまでどおりな外の世界もはっきり見えている、というふうにはならないのかい?」一番上の王子がたずねました。

「ひとが、これを見たい、とねがう時、それは他のものから注意がそがれている、ということにほかなりません。このおきては、たとえ魔法使いであっても、――わざと<人の気を狂わそう>とする、わるい魔法使いなら別ですが、私自身はけしてそのつもりはありません――やぶることはゆるされてはおりません。

ですから、これまで見えなかった自分自身を100%見ながら、同時に100%外の世界を見る、ということはありません。かならずどちらかがせり出せば、どちらかは薄まり、場合によってはすっかり消え入ります。」

「そういうものなのか…」二番目の王子がつぶやきました。

「そのうち、もっと驚くことがあるかもしれません」溶接工の魔法使いはそっと言いました。

(が、それはみなに聞こえていないようでした。)

しばらくして、末の弟が、魔法使いにこうききました。

「じつは、ぼくにはさいきん、ひとつのこだわりがあって…」

「なんなりとおっしゃってください」魔法使いはほほえんで言いました。

「ぼくが自分の姿を知らないとき…つまり自分の顔かたちが、まだこんな風に見えていない時から、ぼくは外の世界を見ている時に、こっそりこだわっていることがあったんです。それは、外の世界といっしょに見えていた、手前のぼやっとしたものたち…たとえばかすかにぼくの眼のまわりから突き出ていた、白く高い鼻や、くっと張ったほお骨の先、天気のいい日などによく見える、あわい、兄弟のなかでもいちばん長いとみなに言われる、ぼくのまつ毛にやどる虹色の影や、いつもひっそりと垂れているぼくのまぶしい前髪、それと、肩まで降りてみえるぼくのかわいいブロンドの巻き毛たちのことなんですけれど…。そいつらが、さっきの、もとにもどったふだんの景色の世界には、たしかありませんでした。自分の姿を映してから、ふだんの外の景色へと戻るとき、そうしたぼくのお気に入りの、みぢかなものたちはすっかり見えなくなってしまったのじゃないかしらん?なんだかすこし悲しいのです。へんなことを言って、すみません」

「いえいえ。だいじょうぶでございます。あなたはこれまで、ご自分で外の世界を見ていらした時にも、そうした<さかい目>を、ある時はつよく意識したり、逆に外部の世界の変化にうっかり気をとられて、その<さかい目>を意識するのをまったく忘れたり、なさっていたことでしょう。が、この回転扉にても、それらは同じように再現できます。そのためにこそ、私はさっき、みなさんの姿形を象(かたど)っておいたのですよ。それらはちゃんとこの装置の中にうめこまれています。この目に見えぬ回転扉の世界にだって、それらの微妙でなつかしいものもちゃんと見えます、どうぞご安心なさい」

魔法使いは言って、末の王子の肩をたたくと、太い声をあげました。

「では、あの<さかい目>のことを、意識してください。すると、それはあらわれます」

まもなく、末の王子はあっ、と声をあげました。

ふとなにかが回転して、まわりの景色からかすかに自分の位置が遠のいたと思うと、外の景色と見えない自分の顔との間にあった、なつかしいあの<さかい目>たちが、ぼんやりとしたその姿をあらわしました。

というよりそれはむしろ、自分の位置が、ようやくしっくりとある厚みの中におさまったという感じを、末の王子にもたらしました。

————それは、自分の位置がぐるりと一回転して戻ったような感覚でした。

そうしてまた外の世界を見ると、他の兄弟たちあのいきいきとおどろく仕草が見え、すると今度は、さっき目にした<さかい目>――自分の身のまわりのなつかしいものたちが、その裏の自分とともになくほんのかすかに(心の中で)一歩下がったような、気がしてくるのでした。

それは何とも言えない不思議な感覚でした。

「そうそう。<さかい目>、これさ。ぼくは、ごく身のまわりのこれが好きで、これがほしかったの!」末っ子はさけびました。

すると三番目の王子もしずかに言いました。

「たしかにこれはいいや…。ぼくはこの装置をたずさえて、ヴァイオリンを弾いてみたいものだ。楽器をかまえる姿勢が少し、気になるのですもの。楽器をあごの下にはさみながら、いつも見下ろしている、この肩の辺り。これが今まで通りに見下ろせるばかりか、まるでよその人の目で見るように、あちら側に立っている自分じしんをしっかり見つめたり、どちらも出来るのはありがたい」

「さよう。この<意識>の回転扉ひとつあれば、自分と、外との境界線上のものたちは、ただいまのように目の前の景色の方へと差し出ることも、ふっとまるきり消え去ることもできます…それだけでなく」

「ほかにもできるの?」

「自分からはこれまで見えなかった自分自身のもっと内部を、場合によっては見ることが出来ますが…、正直のところ、それはおすすめできません」

魔法使いは首を振りながら、つぶやくように言いました。

さて翌朝から、王子たちはさっそくこの見えない回転扉を身につけたまま、城庭のあちこちを散歩してまわりました。

魔法使いにもらったこのプレゼントは、おもしろくておもしろくて仕方ありません。庭園のきれいな花々や、城の周囲をとりかこむ、あわくかげりをおびた森を背景に、四人の王子たちは回転扉をたずさえながら遊び回りました。

なかなかにうつくしい、自分たちの姿を時おり映し出し、しげしげと見入りながら、また日射しに充ちた風景のほうを映し出し…そんなふうに、初夏のさわやかな城の敷地の中をきままに歩くのは、なんとぜいたくな気分でしょう。

おまけにこうしたぜいたくで心を満たしていることを、人には知られずにすむのですから。 だって自分たちのたずさえているこの回転扉は、目にも見えず手にも触れないのですから。

万が一、けらいたちや召使いに見られても、いいえ、たとえだれかにぶつかったところで、気づかれるはずはありません。それほどまるで空気のようで、伸びちぢみ自由な回転扉なのでしたからね。

 

それから数週間も経たぬうち、兄弟たちはもうこころなしか、お互い何だか心の中にかすかな秘密を持ちはじめ、顔かたちも少しずつ変わってきたような気がしました。

一番上の兄さんは、四兄弟のうちではこれといった変化がもっとも少ないようでした。

二番目の兄さんは本を読む時間がふえ、物思いにふけりやすくなりました。

三番目の兄さんはヴァイオリンの腕がやにわに上達しはじめました。

ことに末の子はたいそうおしゃれになって、まるで女の子のように髪をきれいにととのえたり、耳飾りをしたり、首飾りを毎日のようにとりかえては楽しむようになっていました。

 

さて、それから一年近くが経ちました。

王子たちは、暑い夏が訪れるまえに、城の外へ出て遊んでもよいということになりました。

ついこのあいだ芽吹いたばかりの森や林の木々も、いつしかすっかりうつくしいエメラルド色を放ってはざわめきだち、城下の人々の垣根をつたう色とりどりのあざやかな花たちも、それはもうあふれんばかりに輝く季節になりましたもの。

王子たちはそれぞれお気に入りの馬を走らせて、城を出ました。

曲がりくねった森の道を抜け、高くそびえる山のほうへとのぼっていきました。もちろん、あのふしぎな回転扉をたずさえたまま。

回転扉は伸びちぢみがまったく自由でしたので、馬に乗っていても何の支障もありません。むしろ王子たちは、馬に乗る自分たちのうつくしい姿と、またたく間にあらわれては過ぎ去る、緑まぶしい辺り一帯の景色の流れを、二重に、あるいは交互に映し出しながら、うるおいにみちた心でいっぱいでした。

「てっぺんまでのぼりつめよう」一番上の王子が言って馬にむち打つと、みんなもそれに続きました。

崖の上のほうになると、だんだんと道が細くなってきました。

崖の向こうには、城下に暮らす人々の家の屋根が、お日さまの光を浴びて味わいぶかいれんが色に輝きながら、遠く森のほうへとつづいています。

「見たかい。城下のこのまばゆい景色。なんと広々としているんだろう。まるでここは、天空のようだ」

「それに、ぼくらのこの白い馬の陽の光を受けたうつくしいたてがみと、それに乗るぼくらのさっそうとした姿ときたら…それにしてもここの風は、なんと気持ちがいいんだろう。たてがみが、こんなにうれしそうにゆれている」二番目の兄さんがいいました。

と、その時です。

「あっ…」と小さくさけぶ声がきこえました。

みんなが振り向きますと、崖のいっとう縁にいた末の弟が、馬ごとまっさかさまに崖を落ちていくではありませんか。

みんなは一斉に声を上げましたが、どうすることも出来ません。

弟の影はみるみる小さくなり、眼下の世界へと吸い込まれていきました。

「あぁ!」三番目の兄さんが顔を覆いました。

みんなも真っ青になりました。 そしてひどくうち沈みました。

おそらく末の弟は、崖からのうつくしい光景と自分の乗り姿とを見くらべようとするうち、馬の足をすべらせてずるりと落下したのでした。

 

———— それからというもの、かわいらしい弟を失い、三人になった兄弟たちは、すっかり城の外へ出るのをいやがるようになりました。

それでも、あのふしぎな回転扉のことは、王さまにもお妃さまにも一切打ち明けませんでした。

ただ、一番上の王子だけは、回転扉をたずさえることはやめると言い出しました。

だれにも言うことはありませんでしたが、あの日崖のてっぺんまで登ろうと言った自分を、心のどこかで責めているのでした。

「ぼくはもうこれだけ、自分の姿を知ったのだから、十分だ」

そういってかれはある晩、ひとり魔法使いの棲む秘密の部屋をおとずれ、ふしぎな扉は魔法使いに返してくると、それきりもう二度とこれを使うことはありませんでした。

そうして、その後はというと、城にやとわれているきこりたちにまじって木を切ってはそれで家具をつくったり、庭に花を育てたりして暮らしました。

そのうち、よその国からお姫さまをもらい、お父さまお母さまと同じように、鏡のない生活にすっかりもどり、自分の姿を気にすることはまったくありませんでした。

二番目の王子はあれからいっそう物思いにふけるようになり、本を読みふける時間がふえました。そして色々な光景や、これまでに会ったひとびとの色々なそぶりや独得の話し方を、そして亡くなったかわいい弟のことを、思い浮かべていました。

三番目の王子はずいぶんとヴァイオリンの腕が上達していました。それはたんに技術が向上したばかりではなく、昔なじみの遙かなものに語りかける調子や、ふとした目差しに振り返りはにかむようなもつれが、ひびきの中にあらわれたかと思うと、自分をどこまでもさまたげなく見つめるような、冷めた音色をきかせるために、ふと人をおどろかせるのでした。

 

ある日、二番目の王子と三番目の王子が、かつてよくみんなで集まった、白樺林にかこまれた陽だまりの中に立っていました。

「この切り株の椅子に腰かけて、話をしようじゃないか。なんといってもぼくらの不思議な回転扉は、立つも座るも折りたたみ自由だからね」兄さんが笑って言いました。

「そうですね。そのことがずいぶんときままなぼくの役に立っていますよ」弟もそういって笑いながら、切り株の椅子に腰をかけると、ふとさびしそうな表情をしてみせました。

四つの切り株のうち、今では二つが空いていました。

兄と弟の影が、ふたりの回転扉の世界の中をふとよぎりました。

「そう…。その話だが、ぼくらはまだこうして、ふしぎな回転扉のお世話になっているけれど、おまえは今いったいどんな風に使っているんだい?」兄がたずねました。

「ぼくは、ヴァイオリンを構える時以外に、自分の正像を目の前に映し出すことは、もうほとんどありません」

「じつのところ、ぼくもなんだ。最初はめずらしかった、こちらを見つめ返しているぼく自身の像は、近ごろはもうさして重要ではなくなった気がしている。けれども、ぼくには<この空間>が、まだ少し必要な気がするんだ。とくにひとが、妙な顔をしてこちらを見つめていたり、ふと何か語りかけたそうなそぶりをしているとき、自分がいまどんな表情でそこにいるのか、何を考えていたのか、ふとその瞬間をたしかめておきたい気がすることがある」

兄はそう言いながら、自分の回転扉のなかに映し出される、弟のうつむき加減な、考え深い横顔をそっとのぞき見ました。

そのまなざしに気づいたのか、弟もまた、自分の回転扉の中で、あたたかく自分を見やる兄にむかってほほえみました。

「ぼくもです。この、閉じているような、どこまでも開けはなたれているような、どちらともつかない空間の居心地を、もう少し大事にしていたい気がします」

兄はうなづくと、空を見上げていいました。

「それとぼくは――そういえば今はいない末の弟が、これをもらう時、あの魔法使いに念を押していたことだけれど――、自分の中と外の世界とのあの<さかい目>たちが、いつのまにか折りたたまれて消えてしまっていたり、どこかへさまよってはいつのまにか舞い戻っていたり、ぼくが身体を動かすやいなや引き伸ばされたり、そうかと思えばぼくの目のそばで、風景とぼくの中、どちらの世界にも入った切りになれないまま、ぼくにふと歩を引かせたりしながら、あの扉のなかでそっともたらし、交換してくれる色々なものを、もう少し大事にしていたいんだ」

「ぼくもです――そのとおりですよ。それでも時おり、もうそろそろお別れしても大丈夫のような気が、しなくもないが…」

「そうだな…。ぼくらの住む国は、これを失うと、もう永遠に鏡とはおさらばになるけれど、もうだいぶ心に焼きついただろうと思う。それはそうと、おまえの音楽はずいぶんと大人びたね。心がこもっている。召使いが入ったあと、時々おまえの部屋の扉がすこしばかり開いているので、聞いていると、なんだかそのヴァイオリンの音色が宙を舞う生きもののように、感じることがあるよ。しぜんと涙が出てくることもある」

「ありがとう。兄さんこそ、こつこつと自分の世界をつくっているように見える。よく机に向かっているようですが、何か書いているのですか?」

「この城の中はもちろんだが、小さい頃から時々出かけていた、城下のうっそうとした森や、木もれ日にみちた林や、どこまでもつづく明るい田園風景が、みょうになつかしく、記憶のなかで心を打つんだ。もしかすると、あれらの風景は、もうあのままでないかも知れないが、だれかが描いた、かすかに光でもやめく風景のように、ぼくの中で生き返っていつまでもあるような気がしている」

「ものがたりを書いているのですね」 兄はすこし頬を赤らめるとうなずきました。

弟が言いました。

「ぼくは、ひとりで弾くヴァイオリンの曲にもすばらしい曲がたくさんあるが、ピアノで伴奏のほどこされる、うつくしい詩のような世界の音楽が、時おりとても弾きたくなるのです。もちろん、それ以外の楽器と一緒に奏でられるなら、もっとうれしいのだけれど。というのも、最近少し色合いのかわったぼくの音色をきいて、音楽の家庭教師が、いままでとはちがった雰囲気の曲を、いくつかぼくに教えてくれました。

それはまた、どこかもどかしいような、なじみ深いようでいて遠く謎めいた世界のような、そしてときおりはげしい…、とにかく今までとはずいぶんちがった世界なのです。

それで、城の外へ出て、ぜひ音楽会をしてみたいんです」 兄はしきりとうなづいていました。

そしてそれはまもなく、ほんとうのことになりました。 それから半年が経ちました。

ある日、二番目の王子が魔法使いに回転扉をそっと返しに行きました。

かれは魔法使いにお礼をいいました。自然とお礼の言葉が口を突いて出たのです。

そして自分の書いた詩を一冊、魔法使いのもとに置いていきました。

そうしてその後は、またいっそうひとり部屋にこもってノートに何かを書き付ける日々が多くなりました。

それからさらにまた半年が経ちました。

今度は、三番目の王子が魔法使いに回転扉を返しに行きました。彼もまた魔法使いにたいそう感謝していました。

かれは、かれのかなでる音楽がたいそう生き生きとしはじめたことと、あのふしぎな回転扉が自分に与えてくれた半分秘密の、そして半分は容赦なくさらけ出された世界とが、まるで無関係であるとは思えないことを、魔法使いに伝えました。

それでやはり弟をうしなったにもかかわらず、お礼を言ったのでした。

 

それからまもなくのこと、あの洞窟の奥の魔法使いの部屋の前にゆれていたガス灯の炎は消え、また中から鍛冶の音のすることは、もうありませんでした。

 

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朗読用 エッセイ(散文詩)

 

【八ヶ岳】

 

晩春 この頃は隣の林のすぐ近くでクロツグミの声がすばらしい…。早朝は、アカハラの囀りが。

思えば引っ越して早々から、夏を迎える手前になると小鳥たちはいつも、私たちが朝食をとるまでの間にも、入れ替わり立ち替わりやって来ては、無邪気に鳴き交わしていた。家のすぐ傍を、イカル・アカハラと…。

それから梅雨明けに相応しい午前のすがすがしい風にのって、森の方からもの真似好きなクロツグミの器用な鳴き声が、しきりにやってきていたっけ。

 

晩春の散歩―― みどり湖。湖畔の桜のこと あんなにもはなやいでいた遠い記憶の花びらを散り落とし、今はもうすっかり重たげになった枝をはりめぐらしている。首をうなだれるように。

少し前までは若葉が競って生い茂り、所々に虫食いの地図のような斑点を織りなしていた。 そうしていまはすっかり生い茂った自分自身の葉陰の、ひっそりとした翳りを編む日傘におおわれて、ハンモックを思わす斑模様の影絵を時折煙のようにたゆたわせながら、もうほのぐらいほどのトンネルを、互い違いにつくっては佇んでいる。

と、いつのまに少し青苔のむした着物の縞が、次第にその文様を顕わにし始めた。器用にたわむ、あのしなやかな形姿を生き返らせたという具合に。

カラマツたちも今はすっかりカーテンかタペストリのようだ…だがあれらも、五月のほんの始めの頃には、まだ<ふしくれ>だった。カラマツの枝の<ふしくれ>…。ナッツステッチのようにぽつぽつと。宙で織りなすまばらの刺繍。

そういえばあの頃、樅の木のほうでは、尖端々々(さきざき)に、赤茶けたおしゃぶりをぶらさげはじめていた。うとうとしているうち、手招きする女性の嫋やかな指のように風にゆられてはしなうカラマツの、いつの間に大人びた挨拶を、まるでかくまう垂れ幕のように、鋭い光りを帯びるつもりなのだったろう、と――(が、かとおもえばそうするにはまだ少し赤ん坊なのだ、とはがゆくも)――思わせていた。

不思議なのは春先のあの時期、冬枯れで見慣れたはずの幹という幹が、気のせいとは思えぬ程に白んでみえることだった。まるで内がわから――オーラといったものを醸し出す…。そう、或種の人々が姿態から坦々と放射する、あの内面的な光に似た――あかるさを発散しているようにもみえる。 内部で何かが起きていた。 その徴にか――或いはたんにおのずと好対照をなすがために互いを際立たせようとしているのかもしれないが――枝の方はむしろ赤味をすら、帯びているのだった。秋にもまた一度そうなるように(尤もその時期のそれは、もっと湿り気を帯びていないが…)えもいわれぬ独得の赤味がさしていた。

そうして遠くの山全体もそれと同じ赤味をにじませ、霞がかっているのだった…。(それも秋とよく似てはいる。)があの赤味、五月のは、やはりもうじき何かがはじまるための、それなのだ…(!)――あれは風景を消沈させない。

白んだ木立の群れがその背景にディオニソスの白髯のような無数の掻き傷を入れる…。 ガラス版画のそれ。或いはカンヴァスの布目。

 

 

四月了 庭のモクレンが初めてひとつの蕾を開かす。今、森は春をようやく展げはじめている。すこしずつ、すこしずつ...。

カラマツの芽吹きの点描画——あれは小人の捧げものにみえる。淡緑色(ライトグリーン)のとんがり菓子。復活祭のための、恰好のメサージュなのだ。

天使らの降天への合図。ひそかな、呼びかけの世界。

 

山桜の枝々は、あちこちの丘にうっすらと気のせいのような紅みを帯びた花を咲かせ始めている。 だがある種のものは遠目にはほとんど紅とは気づかれない。そればかりか花の重なるほどにまるでコブシのそれへと近づくように、雪を通り越し、次第に殆ど乳白色をすら帯びていく。

それらは悪戯な雲の、空を覆い過ぎる瞬間には、天からばらまかれた粉乳よろしく輝くのだ。 そうして辺りがふたたび光に充たされる頃には、群がり停まる無数のもんしろ蝶のたたずまいをみせながら、遠い昔のままの画のように、あどけなく憩っている...。

 

遠景——コブシ。 かれらは、枝付燭台の蝋燭が仄暗い闇の中を順繰りに灯されるごとく、灰色の森の処どころにくっきりと白い火を灯している。 あるものはまだ、森が織りなすようやく萌えはじめたばかりの山間(あい)の、ちょうど陽の当たる斜面づたいに、おもむろに縁取られていく片側の枝々に、行儀のよい孤を描く灯を点しつつも、まるでそうした樹木のぜんたい、無疵なひとつの白い炎を形象っていくのも、また計らいとでもいいたげに、気高く...陶然と憩っている。 デザイン画めいた形状と、何処となく人工的な光を帯びた色彩。——蝋で造った電飾洋燈(ランプ)。 炎状にととのった形姿。——

あれらは蝋燭の 'うえに’ 灯った火というよりは、むしろ無数のそれを宿す燭台それ自身、ひとつの白い炎であるかとみまがうばかりに、真率に点っている。 その枝ぶりは、天上へと燃えさかるようにというのでもなく、またある形のままたちまち凍り付いたというふうでもなしに、なにかまえもってその形象へと定められていたものの、ひとりでなる成就といった佇まいなのだ。

彼らの几帳面さ。—— おとといなどは、八ヶ岳が、その広大なすその一帯を真っ暗な雷雲に覆われて、あやしい風のなか、いつもの真昼の山麓にふさわしい光沢をすっかり喪失したまま、ただ処どころに不屈の、天地さかさまにしたあのディオニソスの髭の、容赦なくグロテスクな線をさらす白樺並木らの交互に織りなす、一種異様な光沢をばかりを際だたせていたが、そんな不可解な暗示に満ちた風景のなかにあってなお、例のコブシの一群だけが、点在する外灯さながらに、ほんのりと親切な光を旅人に向かい放ちながらこれを導くように立っているのが、めずらしく不穏なこの辺り一帯を、ひとつのほのぼのとした素描のなかに、かろうじておさめているようにみえた。

 

五月のはじまり カラマツのとんがり帽子は、いつしか霜の結晶よろしき氷砂糖の小部屋に。と、そこから徐々に蜘蛛の糸をまねるモヘアのモオルをつむいでは垂らしはじめた。 エメラルド色のこの梯子が降りはじめると、小人たちはじきにミズキの玉座に光の精らをうつしかえ、カリフラワーさながら形戯けた冠を、いそいそとかかげる準備に入るのだ...。やがて彼らに向かって五月の風が手招きをする。女のひとの指にも似た、あの垂れこめるカーテン越しに。

 

カラマツのとんがり帽子は、いつしか霜の結晶よろしき氷砂糖の小部屋に変わっている

そうして、そこから徐々に蜘蛛の糸をまねるモヘヤのモオルをつむいでは、垂らしはじめていく……。

エメラルド色のこの梯子が降りはじめると、小人たちはじきにミズキの玉座に光の精らをうつしかえ、カリフラワーさながら形戯[おど]けた冠を、いそいそとかかげる準備に入るのだった……。

やがて彼らに向かって初夏の風が手招きをする。女の人の指にも似た、あの垂れこめるカーテン越しに。

今ではもう、時折ヤマガラのツツ!ニ ニ ニーという地鳴きまじりの囀りや、ブランコの軋音よろしく遠くか細い、コガラ・ヒガラなど、小さなカラ科の鳥たちの、金属的なモノトーンの声のひっきりなしにするなかを、

カッコウのにぎやかな声が時折横切るようになってしまった。

先日などは、フィチーユ・フィチーユという、とっても可愛らしい鳴き声がしていたけれども……。

あれはキビタキなのか…?

野生のサワラ林、もしくは近所の間垣をつたうサワラの織りなすレース編み。濃淡のみのタピスリ。

そうしてようやくまたここへ来た。ふとした木陰。

遠のくような蜩[ヒグラシ]の声に背中を押され……樺の木らの、戯れに降ろす、まばらの暖簾[のれん]。

 

林の中にはいると、春先には枝付燭台のようだった枝々も、いまではどれもうっそうと生い茂っている。

その足元を、下生えの植物もさかんにのびていく――蛇のように!

 

舞台裏手——

カラ松のか細い 檣群(マスト)をはげしく斜降するノブドウの静索[シュロード]、

その合間を枝垂れ降りる無数の段策は、自生ホップの細緻な繩梯。

フジヅルの円錐状に上昇する蔓辺——あちこちに備えられた非常階段...。

 

その他、アケビ・野イバラ・カナムグラたちの集まる複雑なシルエットの帆船、

ガリヨン船よろしき下生えの生域が、けもの道めいた道端のあちこちに見え隠れする。

 

家のまえのミズキも 数え切れないほどの花冠をつけた頭をゆさゆさ揺らし

それはもう見るからに重たげなほどだ。

 

古い日記帖から――

 

《好きなもの》 のひとつに、

 

『顔を出して間もないイヌフグリ、ホトケノザ、イヌナズナ。

それらの三色織が めいめいに侵食しあい、粒立ちながら密生する光景』

 

『マメ科の植物——巻きひげを備えた形戯けたやからたち。クサフジ、ツルフジバカマ、××ササゲ、といった仲間。

その他植物文様を編むつるべの一群』

 

『葉先のするどい装飾的植物——トロイア軍とみまがう鉾型の葉をしたもの(コウモリソウ、ヤマホロシか?またアザミの仲間)

葉先のやわらかい装飾的植物——ギリシアの壺絵でディオニソスの持つ杖飾り シキンカラマツ、アキカラマツ。その他トランプめいた、キンポウゲの葉。

ランプふうのもの——ホタルブクロ、おだまき、ミゾソバの群生(天使の落としたコンペイトウ!)』

 

『アスパラの葉、ノニンジン、その他フェンネル、シェルブル、ディルの葉など。煙ったような細密な葉』

 

『菜の花——その、彩光!』

――地上に降りた光があまねく跳ね返り天に還るので、それらが田んぼの縁にふと降り立つさいには 地上と天上が一つになる瞬間をみるためらしい

 

 

※詩のいくつかも 後日載せていきます

 

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